「やっとるか。」

「ひばり。」と今も窓の外から、ここの助手さんのひとりが僕を鋭く呼ぶ。
「なんだい。」と僕は平然と答える。
「やっとるか。」
「やっとるぞ。」
「がんばれよ。」
「よし来た。」
 この問答は何だかわかるか。これはこの道場の、挨拶である。助手さんと塾生が、廊下ですれちがった時など、必ずこの挨拶を交す事にきまっているようだ。いつ頃(ごろ)からはじまった事か、それはわからぬけれども、まさかここの場長がとりきめたものではなかろう。助手さんたちの案出したものに違いない。ひどく快活で、そうしてちょっと男の子みたいな手剛(てごわ)さが、ここの看護婦さんたちに通有の気風らしい。


 太宰治パンドラの匣

 「やっとるか。」 というのは何をやっとるというのか、さっぱりわからないのだけど、若い看護婦からこんな風に声をかけられたら、元気が出そうな気がする。
 この不思議なやりとりは、作中何度も出てくるのだが、そのたびにニュアンスが違う。こういうところ、巧いなあと思う。