日本語が亡びるとき

 前回引用した 「キャット撫で声」 の直後の段落から。

 半蔵は腕を組んでしまって、渦巻く世相を夢のようにながめながら、照りのつよい日のあたった南向きの障子のわきにすわりつづけた。まだ春も浅く心も柔らかな少女たちが、今にこの日本の国も英語でなければ通じなくなる時が来ると信じて、洋書と洋傘とを携え、いそいそと語学の教師のもとへ通うものもあるというような、そんな人のうわさを左衛門町の家のものから聞くだけでも、彼は胸がいっぱいになった。


 島崎藤村 『夜明け前 第二部』 第十二章 三

 「日本語が亡びるとき」 の元祖みたいなものだが、実際、江戸期の日本語は一度滅びたのかもしれない。現代にそのままつながる日本語の文章は、明治期に漱石や藤村といった巨人たちによって築かれてきたのだから。