家族の写真

 明治十七年、五十四歳の半蔵は隠居の身となってから、すでに十年が過ぎている。
 『夜明け前 第二部』 第十四章は、彼の子供たちの消息を中心に語られる。

 三男の森夫と四男の和助が東京で撮った写真は、時をおいて、二枚ばかり半蔵の手にはいったこともある。遠く都会へ修業に出してやった子供たちのこととて、それを見た時は家じゅう大騒ぎした。一枚は正己が例の山林事件で上京のおりに、弟たちと一緒に撮って携え帰ったもの。ちょうど正己の養父寿平次も入れ歯の治療に同行したという時で、その写真には長いまばらな髯をはやした寿平次が妻籠の郵便局長らしく中央に腰掛けて写っている。寿平次も年を取った。その後方(うしろ)に当時流行の襟巻きを首に巻きつけ目を光らせながら立つ正己、髪を五分刈りにして前垂掛けの森夫、すこし首をかしげ物に驚いたような目つきをして寿平次の隣に腰掛ける和助――皆、よくとれている。伏見屋未亡人のお富から、下隣の新宅(青山所有の分家)を借りて住むお雪婆さんまでがその写真を見に来て、森夫はもうすっかり東京日本橋本町辺のお店(たな)ものになりすましていることの、和助の方にはまだ幼顔が残っていることのと、兄弟の子供のうわさが出た。今一枚の写真は、妻籠の扇屋得右衛門(おうぎやとくえもん)の孫がその父実蔵について上京したおりの土産である。浅草公園での早取り写真で、それには実蔵の一人子息(むすこ)と和助とだけ、いたいけな二少年の姿が箱入りのガラス板の中に映っている。
「アレ、これが和助さまかなし。まあこんなに大きくならっせいたか。」
 またしても伏見屋未亡人なぞはそのうわさだ。


 島崎藤村 『夜明け前 第二部』 第十四章 二

 五人兄弟のうち、三人が並んで写った一枚目の写真は、淡々と書かれているだけだが、ここに至るまでにそれぞれの人生、それぞれの物語が凝縮され、感動を呼ぶ。(結局、この五人は一度も全員顔を揃えたことがなかったのではないかと思う。)
 子供たちの成長ぶりを描いて終わるならば、この小説はハッピーエンドなのだが、そうはならない。半蔵が精神を病むのである。だいぶ前から兆候はあったものの、ここへきて妄想・幻覚に苦しむようになり、ついに万福寺に火をつけようとするのだ。