終の章

 万福寺放火事件を起こした半蔵は、とうとう座敷牢へ入れられる。
 かつての彼の弟子、勝重はそんな半蔵を見舞いに落合の村から出かけていく。半蔵の好きな、しかし禁じられている酒を携えて。明治十九年十一月のことである。

……勝重は、さもあろうというふうにお民の話をきいた後、やがて木小屋の周囲(まわり)に人のないのを見すまして、例の荒い格子の前まで近づいた。
「敵が来る。」
 師匠の声だ。それは全く外界との交渉も絶え果てたような人の声だ。その声がまず勝重の胸を騒がせる。
「お師匠さま、わたしでございます。勝重でございます。」


 島崎藤村 『夜明け前 第二部』 終の章 四

 勝重は、腰の瓢箪から酒をついで、半蔵に飲ませる。しかし、続く出来事は勝重に大きな衝撃となる。

 看護するものが詰める別室の方には人の来るけはいもしたので、それぎり勝重は半蔵のそばを離れた。師匠と二人ぎりの時でもなければ、こんな話も勝重にはかわされなかったのである。しばらく別室に時を送った後、また勝重は半蔵を見に行こうとして、思わず師匠がひとり言を聞いた。
「勝重さんはどうした。勝重さんはいないか。いや、もういない……こんなところにおれを置き去りにして、落合の方へ帰って行った……師匠の気も知らないで、体裁のよいことばかり言って、あの男も化け物かもしれんぞ。」
 その声を聞きつけると、勝重は木小屋の土間にもいたたまれなかった。彼は裏の竹藪の方に出て、ひとりで激しく泣いた。

 半蔵は座敷牢にいながらも、周囲の者に暴力をふるい、糞便を投げつける。そして、病に倒れ、十一月二十九日、家族等に見守られて亡くなる。

 半蔵の死後、勝重は故あって、師匠の墓の世話をすることになる。そのとき、彼は思い起こす。

 その時になって見ると、旧庄屋として、また旧本陣問屋としての半蔵が生涯もすべて後方(うしろ)になった。すべて、すべて後方になった。ひとり彼の生涯が終わりを告げたばかりでなく、維新以来の明治の舞台もその十九年あたりまでを一つの過渡期として大きく回りかけていた。人々は進歩をはらんだ昨日の保守に疲れ、保守をはらんだ昨日の進歩にも疲れた。新しい日本を求める心はようやく多くの若者の胸にきざして来たが、しかし封建時代を葬ることばかりを知って、まだまことの維新の成就する日を望むこともできないような不幸な薄暗さがあたりを支配していた。その間にあって、東山道工事中の鉄道幹線建設に対する政府の方針はにわかに東海道に改められ、私設鉄道の計画も各地に興り、時間と距離とを短縮する交通の変革は、あだかも押し寄せて来る世紀の洪水のように、各自の生活に浸ろうとしていた。勝重は師匠の口からわずかにもれて来た忘れがたい言葉、「わたしはおてんとうさまも見ずに死ぬ」というあの言葉を思い出して悲しく思った。


 島崎藤村 『夜明け前 第二部』 終の章 六

 一人の男の壮絶な死とともに、一つの時代が終わった。そして、この長い小説もここまでである。
 その後、鉄道の発達とともに、交通の要所としての木曾街道はその役目を完全に終え、青山(島崎)一家は東京へ移り住むのだが、そのくだりは 『春』 などの作品に書かれている。
 僕もいつかかの地を訪れてみたいと思う。