トゥギャザーしようぜ

 明治七年、半蔵三度目の上京。今回は江戸ではなく東京である。文明開化の東京は、いろいろ大変なことになっているようだ。

……寄席の高座で、芸人の口をついて出る流行唄(はやりうた)までが変わって、それがまた英語まじりでなければ納まらない世の中になって来た。「待つ夜の長き」では、もはや因循で旧弊な都々逸(どどいつ)の文句と言われる。どうしてもそれは「待つ夜のロング」と言わねばならない。「猫撫で声」というような文句ももはや眠たいとされるようになった。どうしてもそれは「キャット撫で声」と言わねば人を驚かさない。


 島崎藤村 『夜明け前 第二部』 第十二章 三

 維新後の出来事を描いた第二部は、後半に入ると、陰鬱な展開が延々と続く。なにしろ、半蔵の娘お粂は自殺未遂する。半蔵は奇行の末、警察に逮捕されるという騒ぎである。その上、半蔵の心理描写は堂々巡りで、なかなか事態は進展しない。
 そういうのが100ページ以上も続いた後、上のくだりを読むとほっとする。上は、逮捕された半蔵が居留先の宿預かり(自宅謹慎)となっているところ、世話になっている多吉が、少しの慰みにと貸してくれた滑稽本仮名垣魯文(かながきろぶん)の 『阿愚楽鍋(あぐらなべ)』の内容に触れている箇所である。(どこからどこまでが 『阿愚楽鍋』 なのか不明だが。)
仮名垣魯文 - Wikipedia
 半蔵の心は不安定だが、作者もまた不安定な状態だったのではないかと思う。