樋口一葉 『ゆく雲』

……手跡によりて人の顏つきを思ひやるは、名を聞いて人の善惡を判斷するやうなもの、當代の能書に業平さまならぬもおはしますぞかし、されども心用ひ一つにて惡筆なりとも見よげのしたゝめ方はあるべきと、達者めかして筋もなき走り書きに人よみがたき文字ならば詮なし、お作の手はいかなりしか知らねど、此處の内儀が目の前にうかびたる形は、横巾ひろく長(たけ)つまりし顏に、目鼻だちはまづくもあるまじけれど、鬂(びん)うすくして首筋くつきりとせず、胴よりは足の長い女とおぼゆると言ふ……

 父親の手紙を代筆したばかりに、娘のお作は許婚・桂次の下宿先へ送った手紙を読まれ、その筆跡のみから器量、体型に至るまで、下宿先の後妻からひどいことを言われてしまう。桂次もまた、お作のことを頓死すれば良いのにと罵る。
 あまりの悪口雑言に、僕は思わず笑い出してしまったのだが、本作はそもそも喜劇である。
 ひどい言われようのお作は、最後まで登場しない。しかし、桂次を婿に迎え、それなりに幸せに暮らしているように思われる。桂次がかつて「のぼせて」いた下宿先の娘・お縫は一人取り残されて、笑みを浮かべるのは隣の寺の観音様ばかりである。