樋口一葉 『われから』

 親子二代にわたる夫婦の愛憎劇という設定は、『嵐が丘』 を思わせる。本作の執筆当時(明治29年)、『嵐が丘』 の翻訳が出版されていたかどうか定かではないが、おそらく作者はかの英国文学の粗筋くらいは聞き及んでいたのではないだろうか。
 それにしても、不条理な結末であり、誰も救われない。

追記

 検索したら、こんなページが。

 御承知のように明治学院大学の前身となる明治女学校に集まった青年たちが「文学界」の同人です。西洋文学に通じ、プロテスタントとしてキリスト教信仰を持っている近代的なインテリの始まりのような人々です。そのなかには北村透谷もいたし、島崎藤村もいた、馬場孤蝶戸川秋骨平田禿木、星野天知といった人々がいました。彼等は『にごりえ』のお力が住んでいたような一葉最晩年の丸山福山町の銘酒屋に隣接した家をサロンのようにして集まっていたんです。彼等は一葉のことを、小説『やみ夜』のヒロインにちなんで「お嵐さま」とか、『嵐が丘』にちなんで「ブロンテ」などと呼んでいたそうです。この「文学界」同人の前にいた一葉の姿。


 フェミニズム的文学論の”今”―樋口一葉研究を例に―

 樋口一葉はやっぱり『嵐が丘』を読んでいたに違いない!

追記・2

 読み終わったときは、「『嵐が丘』 に似てるなあ」 と漠然と感じた程度だったのだけれど、あとからじわじわ効いてきて、とうとう数日後の夢に出てきた。
 夢の中で、僕はある登場人物になっていたのである。ひどくうなされたらしく、びっしょりと汗をかいて目覚めた。
 あらためて、すごい小説だと思った。