堀辰雄 『美しい村』

この村はどこへ行つてもいい匂がする
僕の胸に
新鮮な薔薇が挿してあるやうに
そのせゐか この村には
どこへ行つても犬が居る


 堀辰雄 「詩 軽井沢にて」

 軽井沢を舞台にした小説 『美しい村』(昭和8年発表) には犬が出てこない。
 別荘、療養所、教会、外国人、村人、子供たち、少女、高原の気候、動植物……と、軽井沢を象徴する描写が最初から最後まで続いているにもかかわらず、散歩する人々が犬を連れて歩く場面が一つもないのである。
 軽井沢には昔から犬を連れて散歩する人が多かった。僕が記憶しているのは昭和30〜40年代の軽井沢だが、別荘の並ぶ木立の路を散歩する人たちは120%くらいの割合(2匹以上連れていることも多かったから)で、犬を連れていたものだ。戦時中、軽井沢に住んでいた母もシェパードを飼っていた。今年の夏、久しぶりに軽井沢に立ち寄ったが、もちろん犬はいた。人間が増えてしまったので、ちょっと驚いたくらいだ。それくらい、夏の軽井沢の風景に、犬は欠かせないものなのである。
 冒頭に引用した詩に書かれているとおり、堀辰雄だって軽井沢で犬を見ているのだし、犬嫌いだったというわけでもなさそうだ。

そうしたら急に、こんな絵はがきのような山小屋で、一冬、犬でも飼うて、暮らしたくなった。


 堀辰雄 『雪の上の足跡』

 『美しい村』 に、なぜ犬が出てこないのか。全く謎である。


 もう一つ。作中にスイス人の医師が家を放火され、村人が誰も消火しようとしなかったというエピソード(伝え聞き)が書かれている。僕の養祖父はスイス人だった。小説の年代より何年か後だが、軽井沢に住んでいた。スイスは永世中立国だから戦争には関係ないのに、親がガイジンというだけで、小学校時代の母はいじめられたり、いろいろひどいことをされたりしたそうである。当時は外国人が珍しく、どこの国の人間か区別がつかなかったのだろう、と母が語っていたのを思い出す。


風立ちぬ・美しい村 (岩波文庫 緑 89-1)

風立ちぬ・美しい村 (岩波文庫 緑 89-1)

 本の感想を書こうとしたのに、個人的な思い出話になってしまった。
 『風立ちぬ』 を読み終わるのは、年明けになりそうである。