芥川龍之介と隅田川
芥川龍之介の初期の小品に 『大川の水』(大正3年発表)というのがある。*1
自分は、大川端(おおかわばた)に近い町に生まれた。家を出て椎の若葉におおわれた、黒塀の多い横網の小路をぬけると、すぐあの幅の広い川筋の見渡される、百本杭(ひゃっぽんぐい)の河岸(かし)へ出るのである。幼い時から、中学を卒業するまで、自分はほとんど毎日のように、あの川を見た。……(中略)……
自分はどうして、こうもあの川を愛するのか。あのどちらかと言えば、泥濁りのした大川のなま暖かい水に、限りないゆかしさを感じるのか。自分ながらも、少しく、その説明に苦しまずにはいられない。ただ、自分は、昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落したいような、言いがたい慰安と寂寥とを感じた。まったく、自分の住んでいる世界から遠ざかって、なつかしい思慕と追憶との国にはいるような心もちがした。この心もちのために、この慰安と寂寥とを味わいうるがために、自分は何よりも大川の水を愛するのである。
芥川龍之介 『大川の水』
『大川の水』 から十年後、自伝的小説 『大導寺信輔の半生』(大正13年執筆、翌年1月に発表されたが未完)には以下のように書かれている。
或朝焼けの消えかかった朝、父と彼とはいつものように百本杭へ散歩に行った。百本杭は大川の河岸でも特に釣り師の多い場所だった。しかしその朝は見渡した所、一人も釣り師は見えなかった。広い河岸には石垣の間に舟虫の動いているばかりだった。彼は父に今朝に限って釣り師の見えぬ訣(わけ)を尋ねようとした。が、まだ口を開かぬうちに忽(たちま)ちその答を発見した。朝焼けの揺らめいた川波には坊主頭の死骸が一人、磯臭い水草や五味(ごみ)のからんだ乱杭の間に漂っていた。――彼は未だにありありとこの朝の百本杭を覚えている。三十年前の本所は感じ易い信輔の心に無数の追憶的風景画を残した。けれどもこの朝の百本杭は――この一枚の風景画は同時に又本所の町々の投げた精神的陰影の全部だった。
芥川龍之介 『大導寺信輔の半生』 一 本所
同じ時代、同じ場所の光景なのに、光と影のように、白と黒のように、正反対の心象を描いているのである。
隅田川の風景は、まだ続く。
隅田川はどんより曇っていた。彼は走っている小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めていた。
花を盛った桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のように憂欝だった。が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出していた。
芥川の死後に発表された 『或阿呆の一生』(昭和2年発表) より。読み続けるのがつらくなるほど陰鬱な作品の一節である。
幼い頃に見た風景のいくつかは、生涯忘れ得ぬものとなるが、芥川の場合は隅田川の風景がそれであった。そこには思いだしたくもないような記憶もあれば、眺めるだけで憂鬱になる景色もあったのだろう。それでも、彼は何度もこの川端に帰ってきたのだ。
芥川龍之介の作家としての短い人生の初めと終わりの間を、隅田川が流れている。そんなことを思いながら、彼の作品を読み返してみたいと思っている。
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