ヒーロー

 1917年夏、ヘンリーは松葉杖を使わずに歩けるまで回復した。単独で外出できるようになった代りに、付き添いと称してキャサリンとデートすることは許されなくなったというシチュエーションである。彼はミラノのバーで数人の知人と会う。その中に、エットーレというサンフランシスコ出身の青年将校がいる。エットーレはアメリカ育ちだが、イタリアの愛国者であり、同じ中尉であるヘンリーよりも若いのに、もうすぐ大尉になるのだと言う。
 以下は病院に戻った後、ヘンリーとキャサリンの会話である。

……このエットーレこそは正真正銘のヒーローというやつで、だから、会う人間はみんなうんざりしてしまう。キャサリンも、この男には我慢がならないくちだった。
「わたしの国にもヒーローたちはいるけど」彼女は言った。「たいていは、もっとずっと控えめだわ」
「ぼくはあまり気にならないけどね」
「わたしだって、あの人があんな自惚れ屋じゃなくて、会うたびにうんざりさせられるようなことがなければ、気にならないわよ。ところがちがうでしょう、もううんざりよ、あの人には」
「ぼくもうんざりだ、彼氏には」
「そういうところがあなたは優しいのね、ちゃんと話を合わせてくれて。でも、無理に合わせてくれなくてもいいのよ。あなたの場合は、前線でのあの人の振舞いが想像できるんでしょうし、それなりに役立つ男だってわかってるんでしょうから。でも、わたしにとってはいちばんいやなタイプね、あの人は」
「ああ、わかるよ」
「そこが優しいところよね、あなたは。ちゃんとわかってくれて。わたしもなんとかあの人を好きになろうと思うんだけど、でも、だめ、あんなに感じの悪い人っていないんですもの」


 ヘミングウェイ武器よさらば』 第二部 第十九章

 アメリカ人とイギリス人の男女が、イタリア人の悪口を言い合っているのだが、これが僕にはよく理解できなかった。エットーレは大げさな喋り方をする男だが、典型的な軍国青年であり、そんなに周囲から嫌われている人間ではないからである。
 「わたしだって、あの人が〜」 というキャサリンの台詞は、原文では以下のように書かれている。

"I wouldn't mind him if he wasn't so conceited and didn't bore me, and bore me, and bore me."

 決して長いセンテンスではないのだが、妙にくどい台詞である。全般に、キャサリンの発言は小説の登場人物の台詞としてはそんなに長いものではないのだが、ヘンリーの台詞が短く(平均3語くらい)、鸚鵡返しが多かったりするため、会話が一方的に進められている感じがする。ヘンリーはキャサリンのどこに惹かれたのだろうか? また、女性読者はヘンリーに共感するのだろうか?
 10月まで楽しい入院生活が続いた後、ヘンリーの前線復帰期日が決まる。キャサリンは妊娠したことを彼に告げる。彼は前線復帰の前に、キャサリンと旅行を計画するが、黄疸を患ってしまい、旅行は中止となる。婦長に酒を没収される。もう、さんざんである。