横光利一 『時間』

 私達を養っていてくれた座長が外出したまま一週間しても一向に帰って来ないので、或る日高木が座長の残していった行李を開けてみると中には何も這入(はい)っていない。さアそれからがたいへんになった。座長は私達を残して逃げていったということが皆の頭にはっきりし始めると、みなの宿賃をどうしたものか誰にも良い思案が浮んで来ない。そこで宿屋へは私が一同に代って当分まアこのまま皆の者を置かしておいてくれるよう、そのうちに為替がそれぞれ一同のものの郷里(くに)から来ることになっているからといってまた暫くそのまま落ちつくことになった。ところが為替は郷里から来たには来たが来るたびにわっと皆から歓声が上るだけで、結局来た金は来た者だけの金となってそのものがこっそりいつの間にか自分の一番好む女優と一緒に逃げのびていくだけとなって、とうとう最後に八人の男と四人の女とがとり残される始末となった。


 横光利一 『時間』

 旅芸人の一座の座長が金を持ち逃げした。残された12人の男女は宿代をごまかすため、逃亡を図るのだが……。12人がひたすら逃げる、というそれだけの話である。やがて、疲労、空腹、恐怖、猜疑心、暴力、寒さ、睡魔が彼らを襲うのだが、最後には不思議な団結へと至る。
 『時間』 は大正6年に発表された短編小説。上に冒頭部分を引用したごとく、ほとんど改行のない文章が延々と続くのだが、意外にも読みやすく、最後まで一気に淀むことなく読める。わずか二十数ページの小説なのに、語り手の 《私》 を除く全員の名が書かれているが、終始団体で行動しているため、病人の女一人を除くと、誰が誰だかさっぱりわからない。だが、そんなことは全く問題にならない。(登場人物が多すぎて、誰が誰だかわからない小説というと、森鷗外 『堺事件』 を思い出す。)
 団体行動と集団心理、というテーマを描いた傑作である。『機械・春は馬車に乗って』(新潮文庫) の中では一番面白かった。