自伝を読む

 最近に筆を執り始めた草稿が岸本の机の上に置いてあった。それは自伝の一部とも言うべきものであった。彼の少年時代から青年時代に入ろうとする頃のことが書きかけてあった。恐らく自分に取ってはこれが筆の執り納めであるかも知れない、そんな心持が乱れた彼の胸の中を支配するように成った。彼は机の前に静坐して、残すつもりもなくこの世に残して置いて行こうとする自分の書きかけの文章を読んで見た。それを読んで、耐えられるだけジッと耐えようとした。又終りの方の足りない部分を書き加えようともした。草稿の中に出て来るのは十八九歳の頃の彼自身である。


 島崎藤村 『新生 前編』 第一部 二十五

 遺書のつもりで自伝的小説を書く、というのは、太宰治もやっていて、作品集 『晩年』 や長編小説 『人間失格』 などがそれにあたる。一方、島崎藤村の場合は、さらに書きかけの自伝を読んでいる主人公を描写するという凝った構成になっている。
 主人公が読んでいる 「自伝」 は、『桜の実の熟する時』。同書二章の前半部分が丸ごと2ページ近く引用されている。

 読んで行くうちに、年若な自分がそこへあらわれた。何かしら胸を騒がせることがあると、すぐ頬(ほお)が熱くなって来るような、まだ無垢(むく)で初心(うぶ)な自分がそこへあらわれた。何か遠い先の方に自分らを待受けていてくれるものがあるような心持ちでもって歩き出したばかりのころの自分がそこへあらわれた。岸本は自分の少年の姿を自分で見る思いをした。


 島崎藤村 『新生 前編』 第一部 二十五

 innocence (無罪) の反対語は guilt (有罪) である。自伝に書かれた少年時代の自分は、あまりにも innocent (純真、無垢) でありすぎた。読み終わった岸本は、自殺を考える。そして、次に海外への逃避を計画する。

……彼には遠い異郷の客舎の方で書きかけの自伝の一部の稿を継ごうと思う心があった。その辺をよく見て置いて、青年時代の記憶を喚起(よびおこ)して行こうとしたからでもあった。……


 島崎藤村 『新生 前編』 第一部 三十九

 『桜の実の熟する時』 の冒頭部分は大正2年に発表された。ちょうど 『新生』 の上記引用箇所に描かれている時期のことである。『桜の実の……』 はその後、パリで書き継がれ、完成したのは帰国後。刊行されたのは 『新生』 と同じ大正8年であった。