谷崎潤一郎 『鮫人』

「妙な処へ引っ越して来たね。僕は浅草と云う所へはほうとうに久し振だ。子供の時分に二三度観音様へ来たことがあったけど、………」
南は肘掛け窓に倚りかゝりながら、そんな風にぽつぽつと語った。もう夏が近づいて来たらしい生暖かい風の吹く晩であった。窓の外には、直ぐ頭の上にある十二階のイルミネーションが、光というよりは毒々しいペンキ色で夜の空を染めて居た。


 谷崎潤一郎 『鮫人』

 『鮫人(こうじん)』 は大正9年に発表された未完の長編小説。
 「十二階」 とは凌雲閣という建築物の通称である。(凌雲閣 - Wikipedia参照。)関東大震災以前の浅草のシンボル的な存在だったようで、多くの文学作品に登場している。
 それにしても、不潔で、グロテスクで、気持悪い小説だと思う。