志賀直哉の小説に出てくる 《不愉快》 を集めてみた
……いやな事を凝(じ)っと待つ心持程に不愉快なものはない。
『クローディアスの日記』 ※強調部は引用者による。(以下同様。)
……自分は父に対してずいぶん不愉快を持っていた。
『和解』 二
……それから主人方の富に対する使い方に僕はかなり神経質になった。そんな事は他の奴にさせればいいのにと思って不愉快に感じる事がよくあった。
『佐々木の場合』
……自分は重ね重ね不愉快になった。
『十一月三日午後の事』
……然し私はこれから間もなく其処に起るべき不愉快な場面を考えると厭な気持になった。
『流行感冒』
彼が独り、不愉快な顔をしているところに、亢奮に疲れ、疲れながら尚(なお)亢奮している彼の妻が入って来た。
『痴情』
謙作をそれ程に不愉快にした阪口の小説と云うのは、或(ある)主人公がその家にいる十五六の女中と関係して、その女に出来た赤児を堕胎する事を書いたものであった。謙作はそれを多分事実だと思った。そしてその事実も彼には不愉快だったが、それをする主人公の気持が如何にも不真面目なのに腹を立てた。事実は不愉快でも、主人公の気持に同情出来る場合は赦せるが、阪口の場合は書く動機、態度、総(すべ)てが謙作には如何にも不真面目に映った。
『暗夜行路 (前篇)』 第一 一
写実的で無駄のない情景描写を特徴とする志賀直哉の小説だが、登場人物の心理描写となると、これがまた驚くほどワンパターンである。それにしても、彼ら主人公たちは何故こんなにも 《不愉快》 なのだろうか。よくわからない。
『暗夜行路』 の前半は特にそれが顕著で、最初の100ページくらいの間に 《不愉快》 が数十回も出てくる。いい加減うんざりしそうなものだが、そのうち、次はいつ出るかいつ出るかと楽しみにしている自分がいる。ちょっと愉快な気分の読書である。