志賀直哉 『暗夜行路』

 主人公時任謙作は友人二人と連れだって、初めて吉原へ行く。茶屋で酒を飲み、朝まで過ごしている。

 夜が明け始めた。疲れと酔いとで、滝岡も阪口も、もう其処へ寝ころんで、うとうととしていた。豊は縁へ出て、秋らしい静かな雨の中を帰って行く人々をぼんやり眺めていた。騒ぎに着崩れた彼女の着物は、裾広がりの不様(ぶざま)な格好になっていた。瓦斯の光りが段々に間が抜けて来た。食残された食物の器とか、袋なしに転がっている巻煙草とか、トランプとか、碁石とか、それらの散らかっている座敷の様子が、如何にも何か一段落ついたと云う感じを与えた。


 志賀直哉 『暗夜行路 (前篇)』 第一 二

 だらだらと遊んだ後のだらけきった場面だが、上の文章には全く無駄がない。むしろ、ソリッドな緊張感をもった情景描写である。(性的な匂いを一切感じさせない点にも注目したい。)こういうところが志賀直哉の真骨頂なのだけれど、読み進めていくと、ストーリーも文章もぐだぐだになってくるようだ。
 以下は別の場面。友人緒方が語った蕗子という芸者の話を、謙作が回想しているところである。

 金持の所謂旦那と云う男が緒方との関係をよく知りながら、その儘で蕗子母子(おやこ)によくしている。それをその男に使われている或る男が余りにひどいと云うので、強面(こわもて)に意見をすると、女は怒って、その春に作って貰った晴着をその場で滅茶々々に引き裂き、泣きながら自動車で緒方の家へ来たが、公然と呼び出す事が出来ないので、前でまごまごしていると偶然緒方の弟が出先きから帰って来た。女はそれに会わして呉れと頼んだ。……


 志賀直哉 『暗夜行路 (前篇)』 第一 七

 これは何がなんだかさっぱりわからない。そもそも上の文章に何人の人物が登場しているのか、一読して理解できるだろうか。