藤村一家は魚好き

 島崎藤村明治34年に発表した詩集 『落梅集』 の中に、「爐邊雜興 散文にてつくれる即興詩」 という長い詩があって、そこにこんな一節がある。

大豆を賣りて皿の上に載せたる鹽鮭(しおざけ)の肉鹽鮭何の磯の香もなき

 小諸の塩鮭はまずい! と言っているのである。「爐邊雜興」 はいかに海が恋しいかを歌い、土地の人たちは海など見たこともないと嘆いている詩で、藤村の抒情詩の中では、ネガティブな感情をむき出しにした異色の作品である。


 一方、当時の小諸での生活の様子が、藤村の妻お冬によって書かれている。お冬が生家函館に住む長姉に宛てた手紙の全文が、森本貞子 『冬の家――島崎藤村夫人・冬子』(文藝春秋) に掲載されているのだが、すごく面白いので、少し引用してみたい。(この手紙を読むだけでも、『冬の家』 は読む価値があると思う。)
 明治37年、お冬の第三子出産が近づき、函館から母親が小諸に手伝いに来ている。以下は、長姉から生にしんが送られていたため、そのお礼を述べているくだりである。(文中の「春樹」 は藤村の本名。)

 ……今日ハまた結構なるお魚数/\御恵送ニあづかり母上はじめ一同大喜び早速賞味いたし申候処耳ハぬけホツペタハおちそうなおもひいたし候
 母上にハ当地へご来信以来なま魚ハ今日はじめてお口にいたし候事なれバ久しぶりにてお食事も進みし様ニ見うけられうれしくおもへ申候私も六年ぶりにていただきし事故前申上候通りのおもへ(ママ)に味はへ候無理ならず候 春樹も生にしんハはじめていたゞきし事なれバ殊に喜びも只ならず候 かれひも明日あたりいたゞき申べくとうぶんお魚を味へ得られ候事偏に御姉君の御注意ニ(ママ)よる事とかげながら感謝いたし居候 昨今ハ当地ニ魚類といふもの塩さけ位ニてたまにハ塩たらの口もねじる様な品を見るのみ故……(以下略)

 生にしんを食べて大喜び、というか興奮しすぎである。そして、夫と同じく、小諸の魚はまずい! と訴えているのだ。お冬夫人は函館の名家に生まれ、東京の女学校を卒業したインテリである。文章も実に巧みだ。「耳ハぬけホツペタハおちそうなおもひいたし候」 というユーモア感覚は、藤村を凌いでいると思う。
 藤村はこの頃より長編小説 『破戒』 の執筆を開始。翌年には執筆と作品発表(自費出版)のため、小諸の教師の職を辞し、上京する。執筆中の小説には相当の自信を持っていたようだが、生活の不安はある。妻お冬は黙って夫に従って行ったのかと思っていたのだが、上の手紙を読むかぎり、実は積極的に上京を進めたのは、妻のほうではなかっただろうか。魚はまずい、田舎暮らしはもういやだ、と夫婦の間に意見が一致したのではなかっただろうか。
 そんな心情を読み取ってしまうのである。