リチャード・バック 『かもめのジョナサン』

かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)

かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)

 本が手元にないので、うろ覚えレビュー。
 毎年恒例の 「新潮文庫の100冊」 が今年も書店に並んでいる。新潮社のサイトを見ると、「新潮文庫の100冊」 は1976年に始まったらしい。新潮文庫の 『かもめのジョナサン』 が出版されたのは1977年。同書が 「100冊」 に入ったのは1979年である。以来、30年にわたって、毎夏、ジョナサンは書店に平積みにされてきたことになる。
 でも、あの本、そんなに面白いですか?
 本書をめぐるいきさつについては、Wikipedia に詳しく書かれている。

1970年にアメリカで出版され、当時のアメリカのヒッピー文化とあいまって、口コミで序々に広がり、1972年6月以降に大ヒットした。1974年10月に映画が日本で公開された時点で、アメリカでは「風と共に去りぬ」を抜いて1500万部、日本では1974年6月20日に新潮社より五木寛之の訳で出版され120万部のベストセラーとなっている。


かもめのジョナサン - Wikipedia

 本書がヒットしたのは、僕も記憶している。映画についてはあまり覚えていないのだが、なんとなく暗い印象が残っている。(ニール・ダイアモンドの音楽は素晴らしかった。)だが、最も印象的なのは、翻訳者の五木寛之新潮文庫のあとがきで、この小説をめちゃめちゃに貶していることだ。五木は 「私はこの物語が体質的に持っている一種独特の雰囲気がどうも肌に合わない」 と述べているのである。
 本書のテーマは、現実(日常生活)からの逃避、宗教的な体験を通じての超能力の獲得、そして群衆(社会)に対するあからさまな蔑視である。ベトナム戦争当時のアメリカの若者にウケた理由も、それなりにわかる気はする。(現代の日本でも一定の層には支持されているようだ。アマゾンのカスタマー・レビューを読むと、それがよくわかる。)賛否両論あるにせよ、それなりに評価されてきた小説であることは確かなのだが、毎夏、平積みにされて、ある種の 「古典」 として読み継がれるべき作品なのかどうか疑問に思う。少なくとも、「100冊」 に選ばれた海外文学のラインナップの中で、本書が1冊だけ浮いているのは確かだろう。主人公が一人浮いている話だから仕方がないのだろうか。