島崎藤村 「椰子の実」

  椰子の実

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子(やし)の実ひとつ


故郷(ふるさと)の岸を離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月

旧(もと)の樹(き)は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる


われもまた 渚を枕
ひとり身の 浮寝の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新たなり 流離の憂い


海の日の 沈むを見れば
たぎり落つ 異郷の涙


思いやる 八重の汐々
いずれの日にか 国に帰らん

 島崎藤村というと山の人というイメージがあるが、実は海の風景をうたった抒情詩を多数発表している。仙台など海の近くに住んだこともあるし、また海辺を旅したこともあったのだろう。
 有名な 「椰子の実」 は明治33年に発表されたもの。当時は小諸に住んでいたので、海とは程遠い環境である。この詩は、愛知県伊良子崎に流れ着いた椰子の実を見たという柳田國男の話に着想を得て書かれたと言われているが、他の写実的な詩とちがって、ほとんど想像の世界となっている。「枝はなお 影をやなせる」とあるが、ヤシの木に枝などないではないか。
 望郷の念をうたった後半、特に最後の数行は、非常に熱く盛り上がり、素晴らしい詩だと思う。
 昭和11年、大中寅二が曲をつけて大ヒットした。4行ずつ1コーラス×3という構成だが、最後の2行が余ったため、エンディング風のメロディになっている、珍しい歌である。