川端康成 『古都』
千重子は、人ぎらいの養父がこもっている尼寺へ様子を見に行く。父は習字をやっているらしく、机の片隅に硯箱とお手本がおいてある。
「硯箱の上の、古いお数珠は?」
「ああ、あれか。庵主さんに無心言うて、いただいたんや。」
「あれをかけて、お父さんお拝みやすの。」
「今の言葉で言うたら、まあ、マスコットやな。口にくわえて、珠(たま)をかみくだきとうなる時もあるけど。」
「ああ、きたな。長年の手垢で、よごれてまっしゃろ。」
「なんできたない。二代か三代の尼さんの、信仰の垢やないか。」
千重子は父のかなしみにふれたようで、だまってうつむいた。……
川端康成 『古都』 尼寺と格子
思わずコーヒーを噴き出しそうになった。さすがは天下の変態作家である。ノッて書いている。マスコットというのは、さらに今の言葉でいえば、フェティッシュ・アイテムではないか。年頃の娘の前でこんなことを言う父親は単なるバカである。
川端の小説には 「かなしみ」 という語が頻出する。この 「かなしみ」 とは男の性欲を意味するものだと僕は確信している。
悲しいほど美しい声であった。
川端康成 『雪国』
「なんの夢を見てるんだ。夢だよ、夢だよ。」と江口老人は娘の寝ごとになお強く抱きしめて、夢をさまさせてやろうとした。母を呼んだ娘の声にふくまれたかなしみが江口の胸にしみた。老人の胸には娘の乳房がひろがるほど押しつけられていた。
これらの例をみても、全く「悲しい」場面ではないのに、この言葉が使われていることがわかる。《かなしみが胸にしみた》 というのは、今どきの言葉でいえば、《萌えた》 ということなのだ。そう解釈すると、川端作品はずっと判りやすくなる。(その代り、相当下品になる。)
- 作者: 川端康成
- 出版社/メーカー: 新潮社
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