家族の写真

 木曾福島の老舗薬種問屋。この地方の旧家に嫁いだ姉お種のもとで、主人公小泉三吉はひと夏を過ごす。お種は三吉と年が十六も離れていて、彼女のひとり息子正太と三吉は三つ違いである。

「母親(おっか)さん、写真屋が来ましたから、着物を着更えて下さい」
 こう正太がそこへ来て呼んだ。
写真屋が来た? それは大多忙(おおいそがし)だ。お仙――蜂の子はこうして置いて、ちゃっと着更えまいかや。お春、お前も仕度するが可い」とお種は言った。
「嘉助――皆な写すで来いよ」達雄は店の方を見て呼んだ。
 記念の為、奥座敷に面した庭で、一同写真を撮(と)ることに成った。大番頭から小僧に至るまで、思い思いの場処に集った。達雄は、先祖の竹翁が植えたという満天星(どうだん)の樹を後にして立った。
「女衆は前へ出るが可い」
 と達雄に言われて、お種、お仙、お春の三人は腰掛けた。
「叔父さん、貴方は御客様ですから、もうすこし中央(まんなか)へ出て下さい」
 こう正太が三吉の方を見て言った。三吉は野菊の花の咲いた大きな石の側へ動いた。
 白い、熱を帯びた山雲のちぎれが、皆なの頭の上を通り過ぎた。どうかすると日光が烈(はげ)しく落ちて来て、撮影を妨げる。急に嘉助は空を仰いで、何か思い付いたように自分の場処を離れた。
「嘉助、何処へ行くなし」とお種は腰掛けたままで聞いた。
「そこを動かない方がいいよ――今、大きな雲がやって来た。あの影に成ったところで、早速撮って貰おう」と正太も注意する。
「いえ――ナニ――私はすこし注文が有るで」
 と言って、嘉助は皆なの見ている前を通って、一番日影に成りそうな場処を択んだ。丁度旦那と大番頭とは並んだ。待設(まちもう)けた雲が来た。若い手代の幸作、同じく嘉助の忰(せがれ)の市太郎、皆な撮(うつ)った。


 島崎藤村 『家 (上巻)』 二

 昔のことだから、記念写真を撮るのも大騒動だ。大番頭の嘉助がなにやら動き回っているが、その理由は出来上がった写真が東京に送られてきたのを三吉の家族が眺める場面で明らかにされる。嘉助は禿頭だったのである。
 長編小説 『家』 は、このような平和な場面から始まる。そして、この家族はやがて崩壊へ向かうのである。