蟹と署長

 署長は庶民の味方である。特に貧しい人々から慕われていて、毎日のように多くのひとたちが本署や官舎を訪ねて来る。

……いつかなんぞ七つばかりの男の子が三人で、川蟹をバケツに一杯持って来ましたっけ。
「こいつはもくぞう蟹、これは清水蟹」と彼等は署長に説明しました、「そいからこっちは弁慶、これは躰操蟹(たいそうがに)だよ、ほらね、はさみをこうやって上げたり下げたりするんだ、面白いだろう署長さん」
「うん、面白いな、坊や」
「これみんなあげるよ」彼等はきまえよく云いました、「面白くなくなったら茹でて食べればいい、美味いよ署長さん」
「これ食えるのかい」
「食えなくってさ」一人の子供が昂然と肩をあげました、「ちゃんが仕事にあぶれた時なんか、うちじゃいつでもこいつをごはんのおかずにするよ、知らないのかい」


 山本周五郎 『寝ぼけ署長』 より 「一粒の真珠」

 何年か後のある日、一人の少年が署長室へ飛び込んできた。そして、真剣な声で、「あの蟹……返しておくれよ」 と言う。あの時の蟹の少年である。

「そうで無くってさ、だから蟹が返せないんなら姉さんを帰らしておくれよ、小父さんはここでいちばん偉い署長さんじゃないか」

 少年の姉は、盗みを働いた疑いをかけられ拘留中だったのだ。しかし、あんな正直者の姉が悪いことなんかするわけがないと少年は訴える。署長の心は大きく動かされ、事件は一挙に解決へと向かう。
 署長は子供に弱いのである。