河野典生 『子供の情景』

 幼い兄弟が食物連鎖について会話している。連鎖するのが全部草食動物だったりするが、子供同士の話だから仕方ない。

「すげえよなあ。牛、食っちゃったんだもん」
「うん。すげえよな」
 彼らは、はじめて両親に、ときどき食べたことのあるスキヤキの中味が何なのか、その日、ふっと思いついて訊いてみたのだった。
(中略)
「すげえよなあ」
 また幼い兄貴が、腹を叩いていった。「牛なんだもんなあ」
「うん、ウシだもん。山羊、シカが食べて、シカ、イノシシが食べて、イノシシ、ウシが食べて、ウシ、ぼくが食べたんだもん。ぼくでオワリだね」
「終わりって何だよ」
「ぼく誰にも食べられないね」
 そのとき、食卓の方から、満足そうなうなり声がきこえた。ヒゲモジャ赭ら顔の父親が、幼い兄弟の目からは、ひときわ巨大に見える腹をパンパンと叩いて、舌なめずりしたのだ。
「ああ、食った。食った。もう腹いっぱいだ」
 幼い兄弟は視線を合わせる。
 まさか。そんな顔だが、目には、かすかに不安がある。


 河野典生 『子供の情景』 より 「満足」

 「シューマンのピアノ小曲集、標題による十三の幻想」 という副題のついた 『子供の情景』 という小説を、僕は1972年に 「SFマガジン」 で読んでいる。当時、小学生だった僕にも理解できる作品だが、不思議でちょっと怖くて、非常に印象に残っていたのだ。大学に入る頃、この短編を収録した 『緑の時代』(ハヤカワ文庫)が出て、他の作品を併せて読んだけれども、巻頭の 『子供の情景』 が一番面白かった。(もちろん今読んでも面白い。)
 河野典生は1960〜70年代にハードボイルド・ミステリ小説を著した作家で、作品数は少ないが幻想小説(ファンタジー)を何冊か発表している。昨今はファンタジーというと、剣と魔法もの、ロールプレイングゲームのようなものを思い浮かべるが、そういったものとはまったく異なるジャンルの小説である。当時は倉橋由美子山尾悠子など同傾向の作家が何人かいたものだが、現在ほぼ絶滅してしまったジャンルなのかもしれない。
 河野と同世代の筒井康隆は 「河野典生論」*1を書いている。この短い評論には「『緑の時代』解説」と記されているのだが、これはハヤカワ文庫版 『緑の時代』 には収録されていないから、おそらく角川文庫版の解説ではないかと思う。

シューマン 作品15 「子供の情景

トロイメライ~シューマン:ピアノ名曲集

トロイメライ~シューマン:ピアノ名曲集

 有名曲 「トロイメライ(夢)」 の入っているピアノ曲集。アシュケナージのピアノはいつも素敵。

*1:『やつあたり文化論』(新潮文庫)所収。