河野典生 『子供の情景』
- 作者: 河野典生
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1979/02
- メディア: 文庫
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「すげえよなあ。牛、食っちゃったんだもん」
「うん。すげえよな」
彼らは、はじめて両親に、ときどき食べたことのあるスキヤキの中味が何なのか、その日、ふっと思いついて訊いてみたのだった。
(中略)
「すげえよなあ」
また幼い兄貴が、腹を叩いていった。「牛なんだもんなあ」
「うん、ウシだもん。山羊、シカが食べて、シカ、イノシシが食べて、イノシシ、ウシが食べて、ウシ、ぼくが食べたんだもん。ぼくでオワリだね」
「終わりって何だよ」
「ぼく誰にも食べられないね」
そのとき、食卓の方から、満足そうなうなり声がきこえた。ヒゲモジャ赭ら顔の父親が、幼い兄弟の目からは、ひときわ巨大に見える腹をパンパンと叩いて、舌なめずりしたのだ。
「ああ、食った。食った。もう腹いっぱいだ」
幼い兄弟は視線を合わせる。
まさか。そんな顔だが、目には、かすかに不安がある。
「シューマンのピアノ小曲集、標題による十三の幻想」 という副題のついた 『子供の情景』 という小説を、僕は1972年に 「SFマガジン」 で読んでいる。当時、小学生だった僕にも理解できる作品だが、不思議でちょっと怖くて、非常に印象に残っていたのだ。大学に入る頃、この短編を収録した 『緑の時代』(ハヤカワ文庫)が出て、他の作品を併せて読んだけれども、巻頭の 『子供の情景』 が一番面白かった。(もちろん今読んでも面白い。)
河野典生は1960〜70年代にハードボイルド・ミステリ小説を著した作家で、作品数は少ないが幻想小説(ファンタジー)を何冊か発表している。昨今はファンタジーというと、剣と魔法もの、ロールプレイングゲームのようなものを思い浮かべるが、そういったものとはまったく異なるジャンルの小説である。当時は倉橋由美子、山尾悠子など同傾向の作家が何人かいたものだが、現在ほぼ絶滅してしまったジャンルなのかもしれない。
河野と同世代の筒井康隆は 「河野典生論」*1を書いている。この短い評論には「『緑の時代』解説」と記されているのだが、これはハヤカワ文庫版 『緑の時代』 には収録されていないから、おそらく角川文庫版の解説ではないかと思う。