世紀末本屋

 元治元年、青山半蔵二回目の江戸である。すでに本陣庄屋を父から継いだ半蔵は、周辺の木曾谷の庄屋を代表する三人の一人として、江戸の道中奉行へ陳情書を携えて、江戸に向かった。
 しかし、役人の仕事は遅く、訴えを起こしてから沙汰のあるまで何ヶ月も待たされる。

 この長逗留の中で、わずかに旅の半蔵を慰めたのは、国の方へ求めて行きたいものもあるかと思って本屋を漁ったり、江戸にある平田同門の知人を訪ねたり、時には平田家を訪ねてそこに留守居する師鉄胤(かねたね)の家族を見舞ったりすることであった。しかしそれにも増して彼が心を引かれたのは多吉夫婦で、わけてもかみさんのお隅のような目の光った人を見つけたことであった。
 江戸はもはや安政年度の江戸ではなかった。文化文政のそれではもとよりなかった。十年前の江戸の旅にはまだそれでも、紙、織り物、象牙、玉(ぎょく)、金属の類を応用した諸種の工芸の見るべきものもないではなかったが、今は元治年代を誇るべき意匠とてもない。半蔵はよく町々の絵草紙問屋の前に立って見るが、そこで売る人情本や、敵打(かたきう)ちの物語や、怪談物なぞを見ると、以前にも増して書物としての形も小さく、紙質も悪しく、版画も粗末に、一切が実に手薄になっている。相変わらずさかんなのは江戸の芝居でも、怪奇なものはますます怪奇に、繊細なものはますます繊細だ。とがった神経質と世紀末の機知とが淫靡で頽廃した色彩に混じ合っている。


 島崎藤村 『夜明け前 第一部』 第九章 三

 ※強調部は引用者による。

 半蔵は居留先の夫婦者とともに芝居見物をしたり、本屋で立ち読みしたりの日々である。ようするに、ひまなのだ。
 それにしても、絵草紙(マンガかライトノベルみたいなものか?)のラインアップが面白い。人情本(恋愛小説)に、敵打ち(時代小説)に、怪談物(ホラー)である。現代人の嗜好とまったく変わらないではないか。

 作中にときどき「世紀末」や「新世紀」といった語が用いられている。一つの時代の終わり頃に退廃的な文化が流行する、という考え方は、仏教にも末法思想というのがあるが、藤村の場合はどちらかというと西洋的、終末論的な捉え方なのではないかと思う。
 1860年代の話なのに、「世紀末」はないだろう、と思ったのだけれど、そんなことを言ったら、紀元前を舞台にした小説は年代を書けなくなってしまうのであった。