夏目漱石 『明暗』

 『明暗』 は大正5(1916)年に朝日新聞に連載され、作者病没のため未完となった漱石最後の長編小説である。
 漱石の作品中最も長く、構成上題材と役者がほぼ出揃っており、完結が近かったと思われるため、多くの評者によって 《結末予想》 が行われている。なにしろ、後半に登場する重要な登場人物・清子が意味深な言葉とともに謎の微笑を残すところで、本編が終わっているのだ。ここまで読んできた読者は、どうしたって続きや結末を想像せざるをえないし、おそらくそういう読み方は間違ってはいないだろう。
 推理小説がトリックを明かす直前で途切れてしまったら、読者は怒り出すに違いない。しかし、『明暗』 は、そのような意味での中途半端さや物足りなさを感じさせる小説ではない。登場人物についてはすでに十分に描かれているし、何よりも文章が、文章そのものが読者を満足させるだけの魅力を持っているからである。

 ストーリーだけを取り出せば極めてシンプルな作品だ。
 主人公・津田とその妻・お延、津田のかつての恋人・清子の三角関係を巡る話である。また三角関係か!と思ってしまうほど、漱石作品では頻出するパターンだ。(ここで僕も 《結末予想》 を書いてみよう。――津田が不倫をあきらめて元の鞘に納まって終わり、というのはありえない。そんな終わり方では漱石の読者は納得しないのだ。ではどうなるのか? 三人の中の誰かが死ぬのである。)
 ストーリーが単純である一方、登場人物の何人かは、かつての作品にはない 《新しさ》 を持っている。まず、津田は会社員である。作中、病気休暇の届け出のため一日出社するだけなので、どんな仕事ぶりの社員なのか不明だが、漱石の小説で会社員を主人公とする小説はほかになく、サラリーマンの日常というきわめて現代的な題材を扱っていることを忘れてはならない。
 また、お延はほとんど現代の女性と変わらない価値観を持っているし、津田の悪友・小林は明治の日本には存在しなかった新しい思想を携えて登場する。
 そして、かつての漱石作品では徳義・道義といった古典的な価値観にしばられていた人間たちが、むきだしのエゴイズムを戦わせるのも、本作の特徴だ。シリアスな内容だが、彼らの会話はときに滑稽ですらある。
 『明暗』 は、90年以上の昔に書かれた作品なのに、このような 《新しさ》 を感じさせる小説なのである。

 長い小説だが、テンポの良い文章はだれることがない。読み終わるのが惜しい、もっとずっと読んでいたいと思わせる作品だ。小説を読むことの楽しさ、面白さを 『明暗』 は教えてくれるのである。


明暗 (新潮文庫)

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