梶井基次郎 『檸檬』

いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。

 檸檬の果実を表すのに 「レモンエロウの絵具」 という語句で形容するのはいかがなものか。

 梶井基次郎 (1901〜1932) の短編集 『檸檬』 が、今年の夏も書店に平積みで売られている。
 梶井の小説は淡々と心境を綴ったものが多く、ストーリーらしいものが全くない作品も多い。それでも、彼の本はいまだに多くの読者に読まれ続けている。
 僕は私小説的な文学作品は肌に合わないと感じるのだけれど、梶井の小説のいくつかは圧倒的な印象を残している。特に、冒頭に引用した 『檸檬』 や 『冬の蝿』 などは、果物、昆虫といったものの描写がずば抜けていて、視覚的なイメージを喚起する力を持っていると思う。

 『冬の蝿』 は、昆虫の死を目の当たりにした経験を通じて、自らの死と生を空想する小品であり、志賀直哉の名作といわれる 『城の崎にて』 と共通する主題を描いているが、主人公=語り手の心理描写の深さにおいて、『城の崎にて』 を遥かに凌いでいる。

 梶井基次郎は若くして肺結核を患い、31歳でこの世を去った。彼の小説のほとんどは生前、同人雑誌に発表されたのだという。梶井が文学的に高い評価を受けたのは、彼の死後のことなのである。
 現在、小説を書いている人々のうち、死後に評価される者はどれだけいるのだろうか。

檸檬 (新潮文庫)

檸檬 (新潮文庫)