夏目漱石 『道草』

 夏目漱石の 『道草』 は、大正4(1915)年に朝日新聞に連載された。小説としては前年の 『こころ』 の次の作品にあたり、新聞連載としては同年に掲載された随筆 『硝子戸の中』 に続くものである。
 内容は漱石自身の自伝的小説といわれており、時期としては明治30年代(年齢も30代)、漱石が英国留学から帰国したあたりから、『我輩は猫である』 執筆前後に至るまでの出来事を中心に書かれている。登場人物の多くは実在のモデルが存在し、しかも家族や親戚など身内の人間を登場させていて、しかも執筆当時、存命中の人々のことを書いているのが特徴だ。

 はっきりとしたストーリーらしきものはほとんどないのだが、作中の“現在”と主人公・健三(漱石自身がモデル)の幼少時代の出来事が交互に描かれている。しかも、現在・過去ともにとてつもなく暗い。漱石のネガティブな側面を全て集めたかのような小説である。
 登場する養父母、姉、兄、義父など身内の者が全員揃って次から次へと健三に金をせびる。とっくに縁を切ったはずの養父が接近してきたため、相談しに行った姉からも金をせびられたりする。愛情ではなく、金銭が人間関係の核になっているのだ。友人間での借金や金銭援助は、漱石作品に頻繁に書かれるモチーフだが、ここまでひどいものは他にないだろう。
 幼少時の回想場面も何やら暗い話ばかりである。本作には実母(漱石の母は幼少時に死亡した。)に関する言及が全くない。母の思い出話は、『硝子戸の中』 にポジティブに書かれているが、『明暗』 と 『硝子戸の中』 の両方を読まないとバランスがとれないというか、共感できる部分が少なくなってしまうのではないだろうか。

 本作でもう一つ重要なのは、健三の妻の存在である。夫婦の間の愛情、葛藤、温度差、距離感といった心理の描写は非常に巧みであり、深いものを感じる。特に当時珍しかったであろう立会い出産の場面は感動的である。

 『こころ』 で主人公を“明治の精神”に殉死させた漱石は、本作で自らの過去の総括を試みたのではないかと考える。大正という新時代を迎えた作者は、過去に区切りをつけ、次作 『明暗』 において、新しい時代、新しい思想に挑もうとしているように感じるからである。

道草 (新潮文庫)

道草 (新潮文庫)