夏目漱石 『野分』

 夏目漱石の中編小説 『野分』 は、明治40年(1907年)に発表された。
 本作の冒頭では、主人公の一人、白井道也(しらいどうや)について次のように書かれている。(以下要約)

 道也は大学を卒業後、新潟の中学校に教師として赴任する。しかし、ある演説会で金権主義を批判したことがきっかけとなり、地元の有力者や他の教師らの反感を買い、教師に扇動された生徒にまで罵倒されて、中学を辞職する。
 さらに、道也は九州、中国の中学に勤めるが、同じような理由によって辞職を繰り返す。彼は現在、妻とともに東京に住み、雑誌の記者の職を得て、貧しいながら暮らしている。

 強い正義感から、勤めていた中学を辞職して東京に帰る主人公という設定は、前年に発表された 『坊っちゃん』 を彷彿させる。『坊っちゃん』 の主人公は短気のため騒ぎを起こしているが、道也の場合はあちこちの中学で同じことを繰り返しており、思想的確信犯である。
 さて、ここにもう一人の主人公、高柳周作が登場する。彼は新潟出身で、中学時代に道也の教え子だった。高柳君はかつての元教師(しかも自分たちがいじめて辞めさせた経緯がある)が、自分と同じ東京にいることを知り、道也に会いに行くのである。本作はここから俄然面白くなる。
 小説 『坊っちゃん』 は、主人公の教師と生徒とのコミュニケーションについて、全く触れられていない。意図的に記すのを避けたのではないかと思うほど、生徒一人ひとりの存在感が希薄なのだ。本作は 『坊っちゃん』 において欠如していた“師弟関係”を十二分に描き出した名編なのである。もっとも、ユーモラスな味わいのある 『坊っちゃん』 と違って、本作は非常にシリアスな内容ではあるのだけれど。

 ストーリー展開の巧みなところが、本作の最大の面白さである。
 複数の主人公、その他登場人物の配置、効果的な場面転換といった手法は、次作にあたる 『虞美人草』 にも見られるものだが、多くの伏線を張り巡らし、結末に向けて解決していく展開は、漱石の他の作品にはあまり例をみない。

「先生私はあなたの、弟子です。――越後の高田で先生をいじめて追い出した弟子の一人です。」

 高柳君が道也に告白する最後の場面は、感動的である。
 主人公たちは、病気や金銭問題などさまざまな悩みを抱えているのだが、この結末によって全てが吹き飛んでしまうかのようだ。こんな風に読後感の心地よい小説は、漱石作品には珍しいかもしれない。

二百十日・野分 (新潮文庫)

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