夏目漱石 『それから』

 「漱石の小説の中から一番好きなものを一つだけ選べ」と言われたら、あなたはどの作品を挙げるだろうか?
 『我輩』? 『こころ』? 『明暗』? だいたいそのあたりに落ち着くかもしれない。
 しかし、「好きな漱石作品を二つ(または三つ)選べ」と言われたら、多くの読者が 『それから』 を挙げるのではないだろうか。夏目漱石の十数冊ある長編小説の中で、本書はそんな位置づけの作品なのだと思う。

 僕が感じる 『それから』 の魅力を、思いつくまま書き出してみよう。

(1) 登場人物(キャラクター)の魅力
 無駄な登場人物が一人もいない。主人公やヒロインのみならず、下女や書生に至るまで、人物一人ひとりの性格や背景などが緻密に書き込まれ、人間関係に奥行きが感じられる。(『虞美人草』や『三四郎』との大きな違いである。)

(2) ストーリー・プロットの面白さ
 主人公の日常生活を淡々と、しかし精密に書き連ねていく筋書きだが、次第に彼がある状況に追い込まれ、後半になると爆発的に盛り上がる。

(3) 文章と文体
 漱石の文章は、その独特の文体に魅力がある。しかし、前作 『三四郎』 までと比べて、本作のあたりから文中の漢語が減少し、非常に読みやすくなっている。また、この平易な文章は、状況・行動・心理などの細やかな描写に対して、効果的なものとなっている。

 さて、後半に向けてどんどん盛り上がるストーリーの中で、僕の大好きな場面を引用したい。
 主人公・代助は、懇ろにしていた女性・三千代を、親友・平岡に譲る。三千代は平岡と結婚し、それから三年が過ぎた。しかし、代助は三千代のことを忘れられず、親族から勧められた縁談を断ってしまう。
 ある日、彼は三千代を彼の自宅に呼び、そこで彼女への愛を告白しようと決意する。だが、話はなかなか本題へ至らず、ぐずぐずしたままである。
 季節は梅雨。場所は洋風の座敷。二つの花瓶に白百合の花が生けてある。

 雨は依然として、長く、密に、物に音を立てゝ降つた。二人は雨の為に、雨の持ち来す音の為に、世間から切り離された。同じ家に住む門野からも婆さんからも切り離された。二人は孤立の儘、白百合の香(か)の中に封じ込められた。
「先刻表へ出て、あの花を買つて来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の眼は代助に随(つ)いて室の中を一回(ひとまはり)した。其後(あと)で三千代は鼻から強く息を吸ひ込んだ。
「兄さんと貴方と清水町にゐた時分の事を思ひ出さうと思つて、成るべく沢山買つて来ました」と代助が云つた。
「好(い)い香(にほひ)ですこと」と三千代は翻がへる様に綻(ほころ)びた大きな花瓣(はなびら)を眺めてゐたが、夫(それ)から眼を放して代助に移した時、ぽうと頬を薄赤くした。
「あの時分の事を考へると」と半分云つて已(や)めた。
「覚えてゐますか」
「覚えてゐますわ」
「貴方は派手な半襟を掛けて、銀杏返しに結つてゐましたね」
「だつて、東京へ来立(きたて)だつたんですもの。ぢき已(や)めて仕舞つたわ」
「此間百合の花を持つて来て下さつた時も、銀杏返しぢやなかつたですか」
「あら、気が付いて。あれは、あの時限(ぎり)なのよ」
「あの時はあんな髷に結ひ度(たく)なつたんですか」
「えゝ、気迷れに一寸結つて見たかつたの」
「僕はあの髷(まげ)を見て、昔を思ひ出した」
「さう」と三千代は恥づかしさうに肯(うけが)つた。
 三千代が清水町にゐた頃、代助と心安く口を聞く様になつてからの事だが、始めて国から出て来た当時の髪の風を代助から賞められた事があつた。其時三千代は笑つてゐたが、それを聞いた後でも、決して銀杏返しには結はなかつた。二人は今も此事をよく記臆してゐた。けれども双方共口へ出しては何も語らなかつた。

 ため息の出るような美しい情景としか言いようがない場面である。
 雨の音と白百合の香りによって、二人は「孤立」するのだが、そればかりでなく、この許されざる恋によって、彼らが身内からも世間からも「孤立」していることに注目したい。

 このあと、代助は愛を告白し、その後、三千代と何度も会うことになる。しかし、彼女は結婚後より心臓を患っており、丈夫な身体ではなかった。
 以下は、二人の最後の会見の場面から。

「今貴方の御父様の御話を伺つて見ると、斯(か)うなるのは始めから解つてるぢやありませんか。貴方だつて、其位な事は疾(と)うから気が付いて入(いら)つしやる筈だと思ひますわ」
 代助は返事が出来なかつた。頭を抑えて、
「少し脳が何(ど)うかしてゐるんだ」と独り言の様に云つた。三千代は少し涙ぐんだ。
「もし、夫(それ)が気になるなら、私の方は何(ど)うでも宜う御座んすから、御父様と仲直りをなすつて、今迄通り御交際(つきあひ)になつたら好いぢやありませんか」
 代助は急に三千代の手頸(てくび)を握つてそれを振る様に力を入れて云つた。――
「そんな事を為(す)る気なら始めから心配をしやしない。たゞ気の毒だから貴方に詫(あやま)るんです」
「詫まるなんて」と三千代は声を顫(ふる)はしながら遮つた。「私が源因(もと)で左様(さう)なつたのに、貴方に詫まらしちや済まないぢやありませんか」
 三千代は声を立てゝ泣いた。代助は慰撫(なだ)める様に、
「ぢや我慢しますか」と聞(き)いた。
「我慢はしません。当り前ですもの」
「是から先まだ変化がありますよ」
「ある事は承知してゐます。何んな変化があつたつて構やしません。私は此間から、――此間から私は、若(もし)もの事があれば、死ぬ積で覚悟を極めてゐるんですもの」
 代助は慄然として戦(おのの)いた。
(中略)
「平岡君は全く気が付いてゐない様ですか」
「気が付いてゐるかも知れません。けれども私もう度胸を据ゑてゐるから大丈夫なのよ。だつて何時殺されたつて好いんですもの」
「さう死ぬの殺されるのと安つぽく云ふものぢやない」
「だつて、放つて置いたつて、永く生きられる身体ぢやないぢやありませんか」
 代助は硬くなつて、竦(すく)むが如く三千代を見詰めた。三千代は歇私的里(ヒステリ)の発作に襲はれた様に思ひ切つて泣いた。

 女性(にょしょう)と両思いになったものの、代助先生、完敗である。
 三千代の恋は命がけだが、彼のほうにはそこまで全てを投げ打つ心持がないのだ。「遊民」などと称しているが、所詮は金持ちの次男坊、ボンボンの発想である。
 結局、職を持たない彼は親兄弟から勘当されて経済的な基盤を失い、親友(平岡)を失い、そればかりか、三千代の病気を理由に平岡から彼女との面会を拒絶される。
 代助の覚悟が中途半端であったために、全てを失ってしまうわけである。

 このように、本作の主人公はダメ男なのだ。
 ダメ男のダメっぷりが最高なのである。
 なぜなら、こういうダメな部分、誰でも持っていそうだし、僕もその例外ではないからである。


 『それから』 は、1985年に映画化されたことがある。監督は若き日の森田芳光、出演は松田優作(代助)、藤谷美和子(三千代)、小林薫(平岡)で、明治の雰囲気を静かに美しく描いた作品であった。
 余談だが、現在、テレビ放映中のドラマ 『鹿男あをによし』 に出演している玉木宏綾瀬はるか佐々木蔵之介というキャストで、『それから』 をリメイクしたら、面白くなりそうな気がするのだけど、いかがであろうか。

それから (新潮文庫)

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