夏目漱石 『三四郎』

 熊本の高等学校を卒業した小川三四郎は、東京の大学に入るため、汽車で上京する。
 乗り換えのため名古屋で下車したところ、車中で知り合った女と、なぜか宿屋で同室をあてがわれ、一夜を同衾することになるが、純情な青年、三四郎は当然のごとく、手も足も出ない。
 別れ際、女は彼に礼を述べながら、こんなことを言う。

「さよなら」と言った。女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で、
「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。三四郎はプラットフォームの上へはじき出されたような心持ちがした。車の中へはいったら両方の耳がいっそうほてりだした。しばらくはじっと小さくなっていた。

 夏目漱石三四郎』(明治41年発表)の冒頭は、こんな具合である。前途有望な童貞青年がいきなりひどい目にあうわけだが、最初からこの主人公は読者の心を鷲づかみにする。
 さらに、車中では「髭の男(広田先生)」と知り合う。以下は停車中の浜松における二人の会話である。

 ところへ例の男が首を後から出して、
「まだ出そうもないのですかね」と言いながら、今行き過ぎた西洋の夫婦をちょいと見て、
「ああ美しい」と小声に言って、すぐに生欠伸(なまあくび)をした。三四郎は自分がいかにもいなか者らしいのに気がついて、さっそく首を引き込めて、着座した。男もつづいて席に返った。そうして、
「どうも西洋人は美しいですね」と言った。
 三四郎はべつだんの答も出ないのでただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。(中略)」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄(ぐろう)するのではなかろうかとも考えた。


強調は引用者による。

 日露戦争後の戦勝ムードが日本中を席巻していた時代であり、「国が滅びる」などという発言は当時の“空気”には馴染まなかったという話である。百年前の小説に、空気を読むだの読まないだのという意味で、“空気”という語が用いられていることにまず驚く。だが、広田先生(漱石自身がモデルらしい)は、敢えて空気を読まずに、いや空気を打ち破る勢いで自己の意見を述べている。日本的な同調圧力に対抗しようとする、西洋流の個人主義思想の顕れである。
 西洋かぶれとも取れるこういった考え方が正しいのかどうか、三四郎にはわからない。しかし、上のような二つの強烈な体験を経ることによって、彼は熊本を出たことを実感し、東京での生活を始めるのである。

 第一章の小さなエピソードに触れるために字数を費やしてしまったが、小説 『三四郎』 はこの出だしが素晴らしいのだ。東京へ行くということについての希望と混乱とカルチャーショックが見事に描かれているからである。江戸っ子の「坊っちゃん」が松山の中学校に赴任し、大暴れの挙句に尻尾を巻いて帰京するのと丁度逆だが、おそらく多くの読者は三四郎のほうに共感するのではないだろうか。

 さて、東京での生活を始めた三四郎は、「三つの世界」 に囲まれることになる。
 一つ目は「脱ぎ棄てた過去」 即ち母のいる故郷である。
 二つ目は広田先生や野々宮君のいる学問の世界である。
 三つ目は女性(にょしょう)のいる華やかな世界、即ち恋愛である。
 三四郎は美彌子という都会的な美しい女性と出会い、恋に落ちる。学問の世界のうちに身をおきながら、頭の中は美彌子のことばかり考えている。しかし、冒頭で車中の女から「度胸のないかたですね」と指摘されたとおり、彼は美彌子に想いを告げることもできないまま、彼女はさっさと別の男のもとへ嫁いでしまう。

 後半、原田という画家が美彌子をモデルに絵を描く。最後の場面は、完成した絵が披露される展覧会である。
 皆が褒める、絵の中の美彌子の立ち姿は、三四郎が初めて彼女を見かけたときと同じものであった。もちろん、それは美彌子からの三四郎へ向けたメッセージにほかならない。
 絵を見つめながら、主人公が「迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊(ストレイ・シープ)」と繰り返しつぶやく結末は、中空に放り出されたような終わり方だが、様々な余韻を読者に与える。奔放な女性と交わした様々な言葉の記憶について。失恋を巡る後悔と諦念について。そして、主人公のこれからの生き方について。

 一つの恋は終わるが、人生は続く。
 三四郎は、僕でありあなたである。
 出来れば、こういう小説は若いときに読んでおきたいものだと思う。

(本記事中の引用箇所は、青空文庫 - 夏目漱石 三四郎より。)


三四郎 (新潮文庫)

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