江戸川乱歩 『人間豹』

 『人間豹』は昭和9〜10年に雑誌連載された江戸川乱歩の奇怪な小説である。
 半獣半人の怪人“人間豹”が次々に美女を襲う、という荒唐無稽なストーリーだが、それ以上にフェティッシュな要素がふんだんに描かれていて面白い。
 なんといっても、仮面、覆面、仮装、着ぐるみのオンパレードだからである。

 前半、レビュー劇場に出演中の主演女優を怪人が誘拐しようとする場面がある。
 舞台に怪人が堂々登場すると、劇場内は阿鼻叫喚に包まれるのだが、そこでは観客の全員が「レビュー仮面」というセルロイド製の笑顔の面を被っている。
 誘拐は失敗に終わり、怪人は虎の着ぐるみに身を隠して逃走する。
 と、万事がこの調子なのである。

 さらに圧巻なのが後半に描かれる以下の場面。
 名探偵・明智小五郎の新妻、文代さん(なぜか彼女だけは「さん」づけで書かれている)が恩田(怪人の本名)に誘拐されたところである。

「さあ、いい子だから、おとなしく着替えをするんだよ。まずそのバッチイのを脱いでと……」
 恩田のぶきみな指先が、文代さんのからだから裂け破れたはんてんなどを、一枚一枚とはがしていった。最初のうちは抵抗をこころみたけれど、相手の目的が一変してしまったのだから、さいぜんのように死力を尽くす必要も感じなかったし、それにだいいち、からだじゅうの力という力が絞り尽くされて、これ以上の抵抗はまったく不可能であった。彼女はほとんど夢ごこちのうちに着物をはぎとられ、その上から暖かいクマの毛皮をすっぽりとかぶせられてしまった。
 毛皮の腹部を切り開いて、シャツのように隠しボタンがつけてあるので、それを着てボタンをかけてしまうと、どこにも継ぎめのない完全な生きたクマができ上がる。人間の足とクマのあと足とはむろん形が一致しないのだけれど、その部分に巧妙な細工がほどこしてあって、外から見たところでは、少しあと足が太い感じがするくらいで、そっくりほんもののクマである。
「さあ、おクマさん、あんよだよ。あんよをするんだよ」
 恩田はねこなで声でいいながら、いつの間に用意していたのか、猛獣使いの短いむちを取り出すと、おそろしい勢いでかわいそうなクマのおしりをたたきはじめた。しなやかなむちが空気を切って、パン、パンとへやじゅうに鳴りわたった。

これではまるっきり SM 小説である。
あわれ、クマの毛皮を着せられた文代さんは、この後、さらなる恐怖に晒されていくのだが、そして本作で最も美しいクライマックスへと繋がって行くのだが、そのあたりは皆さんが実際に本を手にとって、読んでみていただきたいと思うのである。


人間豹 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

人間豹 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)