安部公房 『他人の顔』

 十代の頃に読んだ安部公房作 『他人の顔』 を再読。

液体空気の爆発で受けた顔一面の蛭のようなケロイド瘢痕によって自分の顔を喪失してしまった男……失われた妻の愛をとりもどすために“他人の顔”をプラスチック製の仮面に仕立てて、妻を誘惑する男の自己回復のあがき……。
 (新潮文庫版・カバーの紹介文より)

 仮面、マスクをテーマにした小説はたくさんあるが、本書は主人公 「ぼく」 が仮面を被ることによって他人になりすまし、別人として、自分の妻に近づき、セックスに至るというユニークなストーリーである。
 小説の構造としては、一連の出来事が終わった後、「ぼく」 が妻に全てを明らかにするために書かれた手記(3冊のノート)が全体の9割を占めており、残りはノートを読んだ妻からの返事の書かれたメモ(実は仮面に出会ったときから正体を見抜いていた、と記されている)と、「ぼく」 のその後の行動(結末)によって締めくくられている。

手記の前半部分には、仮面を製作するまでの過程が延々と描かれていて、非常に面白い。仮面といっても、映画に登場する特殊メイクほど精緻なものではなく、異性装マニア向けのフィーメール・マスクのようなものを想像してしまうのだが。
 そして、中盤、完成した仮面を被った「ぼく」が街へ出て、別の人格として行動するくだりは圧巻である。
 しかし、後半の、妻を誘惑し何度も密通を行う場面の心理描写は、それまでと打って変わって、驚くほどあっけなく、小説全体のバランスを崩していると思わざるを得ない。

 さて、ここからは仮面フェチとしての個人的な妄想。

  • もしも、夫の変装に妻が最後まで気づかなかったとしたら?(いくら顔が違っていても、自分の夫と交われば気づかないわけはないと思うのだが。)
  • もしも、妻が最後まで気づかないふりを続けていたとしたら?
  • もしも、仮面の正体に気づいた妻が、そのままの彼を受け入れ、愛し続けたとしたら?
  • もしも、立場が逆で、仮面を被っているのが妻だったとしたら?
  • もしも、二人とも仮面を被っているのだとしたら?
 こんな物語があったら読んでみたいと思うんだけどなあ。


他人の顔 (新潮文庫)

他人の顔 (新潮文庫)