ジュリーニ/マーラー 『大地の歌』
Gustav Mahler: Complete Edition より。
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、フランシスコ・アライザ(テノール)、ブリギッテ・ファスベンダー(コントラルト)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏。1984年録音。
第九のジンクス
ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ドヴォルザーク。これらの作曲家はみな交響曲第9番を作曲した後、亡くなっている。1908年、マーラーは自身の9番目の交響曲を作曲するにあたり、次は自分の番だと考えた。そして、完成した楽曲に 「第9番」 という番号をつけず、『大地の歌』 と名付けた。
果たして彼は無事だった。もう死を恐れる理由はない。ジンクスは克服したのだ。そう考えたマーラーは、次の10番目の交響曲に 「第9番」 という番号をつけた。まるで死神に挑戦するかのように。
だが、彼は11番目の交響曲を完成させる前に死んだ。
―― これが有名な 「第九のジンクス」 である。実際には交響曲を10曲以上のこした作曲家はたくさんいるのだし、ドヴォルザークが死んだのは最後の交響曲を書いてから10年以上後のことだ。しかし、マーラーがこのジンクスを信じていたのはおそらく事実だろう。そして、皮肉なことに彼自身がジンクスを完成させてしまったのである。
晩年のマーラーと死の予感
生は暗く、死もまた暗い。
<友よ、この世に
私の幸福はなかった。
私は一人淋しく
山にさまよい入る>。
第6楽章 告別 ―孟浩然と王維による (宇野功芳訳)
晩年のマーラーの作品はとてつもなく暗い。だが、中国の詩のドイツ語訳を用いた 『大地の歌』 は曲調と歌詞が見事にマッチしているため、他の歌入り交響曲に比べると、むしろわかりやすい面を合わせもっているといえよう。
『大地の歌』 と続く 『交響曲第9番』(歌なし) は直接に死をテーマにしているという共通点がある。ユダヤ系の家に生まれ、1897年にカトリックに改宗したマーラーだが、もはやここにはキリスト教的な救済の要素はなく、あるのは死と絶望のみである。しかし、このような暗い内容にもかかわらず、これらの楽曲はたぐい稀な美しさをもっており、特に 『大地の歌』 はマーラーの最高傑作であるばかりか、長い歴史を持った西洋音楽がたどり着いた一つの極点であると僕は信じる。
ブリギッテ・ファスベンダー
Brigitte Fassbaender - Wikipedia
『大地の歌』 は名曲だけれども、演奏は難しく、歌手の力量によって左右されてしまう部分が大きい。レコード・CD でいうと、ワルター盤(キャスリーン・フェリアのコントラルト)やバーンスタイン盤(ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのバリトン)が定番なのだが、1939年生まれのファスベンダーの歌唱もなかなか優れていると思った。彼女はエディト・マティスより一つ年下で、マティスと同じくオペラ出身で歌曲も歌うという人ある。そして同様に中年を過ぎてから、ぐっと声が良くなってきた。
上の動画(音声のみ)はシューベルト作曲 「セレナーデ D920」。メゾソプラノと男声コーラスが掛け合いをやっている曲である。ファスベンダーはこういう曲もうまいなあと思う。女性が歌うシューベルトだったら、今のところ彼女が一番なんじゃないだろうか。