オーウェル 『カタロニア讃歌』

 『カタロニア讃歌』 はイギリス人ジョージ・オーウェル(1903-1950)が、1936〜1937年にスペイン市民戦争に民兵として参加した際のことを書き、1938年に発表したルポルタージュ(ノンフィクション)。著者の生前にはほとんど売れず、注目を集めたのは1980年代に全集版が刊行されてからのことである。日本語訳が話題になったのも、1984年の新庄哲夫訳(ハヤカワ文庫NF)、1992年の都築忠七訳(岩波文庫)が出て以来のことだと思う。
 だがここで僕は確信をもって言いたいのだが、本書はイギリス文学のベスト10、いや五指に数えられるべき名著なのである。

 バルセロナレーニン兵舎でのことだった。民兵部隊に参加する前日ぼくは、ひとりのイタリア人民兵が将校用テーブルのまえに立っているのに出会った。
 年の頃は二十五か六、不屈の面構えをした青年で、髪は赤みをおびた黄色、頑丈な肩をしていた。……(中略)……その顔には、なにかしら、ひどくぼくを感動させるものがあった。友だちのためであれば人殺しもするだろうし、自分のいのちを捨てるような人の顔――彼自身はコミュニストかもしれないが、アナキストによくある顔だった。そこには率直さと残忍さとが同居していた。……(中略)……そのイタリア人は頭をあげて、すばやく言った。
 「イタリア人なの?」
 ぼくは下手なスペイン語で答えた。「いや、イギリス人だよ。で君は?」
 「イタリア人だよ」
 われわれが退出しようとすると、彼は部屋の向こうからやってきて、ぼくの手を固く握りしめた。奇妙なことだ。はじめての人にこんな愛着を感じることができるのは! まるで彼の精神とぼくの精神が、一瞬、言語と伝統の深淵をのりこえて文句なしに親しくなることができたかのようだった。……(中略)……言うまでもないことだが、ぼくは二度と彼に会わなかった。スペインでは、こういう出会いが珍しくない。


 ジョージ・オーウェルカタロニア讃歌』 第一章 (都築忠七訳)

 上は本書の冒頭部分からの引用である。まず、戦争文学なのに 《ぼく》 文体を用いた翻訳が素敵だ。もちろん、これは翻訳だけでなく、語り手がこういう軽い会話を交わすようなキャラクターとして設定されていることを意味する。だが、この箇所で最も重要なのは、固い握手を交わした相手がイタリア人だということだ。イタリア人は敵ではなかったのか?
 1936年7月、スペイン共和国で軍部によるクーデターが勃発。フランコ将軍率いる反乱軍と共和国側の内戦が始まった。《ぼく》 は同年の終りにスペインへ渡り、ファシストフランコと戦うために P.O.U.M.(マルクス主義者統一労働党)の民兵として参加。少年兵に初歩的な教練を施したり、前線に送られて塹壕戦を戦ったりする。また、バルセロナでは市街戦に遭遇している。しかし、この内戦、敵味方がよくわからなくて、フランコと戦っていたはずの者たちが裏切ったり、互いに争い合ったりしているのである。(本書を読み進めていくうち、次第にそのあたりの力関係がわかるようになっている。)
 また、フランコはドイツ、イタリアの支援を受け、共和国のコミュニストはロシアの支援を受けていたはずだ。内戦は1939年まで続き、フランコ側の勝利に終わるのだが、諸外国の対立は激しさを増し、ついに第二次世界大戦へと突入するのである。
 そうすると、上に引用したイタリア人とのやりとりはどういうことなのか。P.O.U.M. の民兵がイタリア兵に敬礼を送る場面があとのほうにも出てくるのだけど、当時のイタリアは反フランコだったのか。それとも、イタリアにも反ファシストの一派が存在したのだろうか。

 塹壕戦で重要なのは次の五つのもの、薪、食料、タバコ、ろうそく、それに敵軍である。


 カタロニア讃歌』 第三章

 本書は戦争というものを内側の視点から描いている点に特色がある。敵軍の動静よりもタバコやろうそくのほうが重要度が高いのだ。タバコが不足していらいらする場面は何度も出てくるのだけど、妙にリアルである。

スペインで過ごした数ヵ月がぼくに何を意味したか、ほんの少しばかり伝えることができたにすぎないように思う。外にあらわれた事件は、いくつか記録してきた。だが事件がぼくに残したフィーリングを記録することはできない。それはすべて視るもの、嗅ぐもの、聞くものと混ざりあい、文章に書いて伝えることはできない。塹壕の臭い、考えられないほど遠くへとひろがってゆく山上の夜明け、パンパン鳴る弾丸の冷えきった音、爆弾の轟音と閃光。人びとがなお革命を信じていた十二月にもどって、バルセロナの朝の澄んだ冷たい光、兵舎の中庭で革長靴をふみならす音。そして食料品買いの行列と赤と黒の旗*1 とスペインの民兵の顔。とりわけぼくが前線で知りあった民兵の顔――今どこにいるか誰も知らない、あるものは戦死し、あるものは不具となり、あるものは刑務所に――だが彼らの大部分は、なお安全で丈夫でいてほしいとぼくは願う。みんなの幸運を祈る。


 カタロニア讃歌』 第十二章

 最終章にいたって、《ぼく》 はようやくスペイン共産党から追われるように脱出する。上に引用したスペインの数ヵ月の出来事を回想する場面は感動的だ。

そこでぼくが書いたことがあまり誤解を招かないよう望む。このような問題についてだれも完全に正確である、あるいはありうることはないと思う。なにごとについても自分の眼でみたこと以外、確実であることはむつかしく、意識的か無意識的にだれもが党派的にものを書く。この本のどこかで今まで、このことを述べておかなかったかもしれないので、今述べておこう。僕の党派性、事実に関するぼくの間違い、ぼくが諸々の事件の一角しかみなかったことから必然的に生じる歪曲に注意してほしい。そしてこの時期のスペイン戦争にかんする他の本を読む場合にも、まったく同じことに用心してほしい。


 カタロニア讃歌』 第十二章

 僕は決して歴史に詳しいわけではないので、オーウェルが書いた事柄がどれだけ史実に合っているのか、よく知らない。だが、彼がこの戦争に参加し、『カタロニア讃歌』 を著したという事実そのものが、歴史の一部になっていることは確かだと思う。


カタロニア讃歌 (岩波文庫)

カタロニア讃歌 (岩波文庫)

*1:引用者註……アナキストの旗。