夏目鏡子述・松岡譲筆録 『漱石の思い出』

 大正5年12月9日、漱石最期の日は土曜日だった。いよいよ危ないということで、学校へ行った子供たちは早退して、父親に会いに行く。

……そこでその子(引用者註:次女恒子)と近所の小学校へ行ってる四番目の娘とがまず会いに行きました。するとあんまり面変わりがしているので悲しくなったものでしょう。愛子というその四番めの娘がたまらなくなって泣き出しました。で私がこんなところで泣くんじゃないとなだめますと、それがきこえたとみえて、目をつぶったまま、
「いいよいいよ、泣いてもいいよ」
 と申しました。


 夏目鏡子述・松岡譲筆録 『漱石の思い出』 六一 臨終

 『漱石の思い出』 は、昭和3年に雑誌 『改造』 に連載され、のちに大幅に加筆の上、漱石十三回忌を記念して出版された。本書は、夏目漱石の妻、鏡子夫人の語りを、作家松岡譲(漱石の長女筆子の夫)がまとめた回想録という体裁をとっている。口述筆記のような書き方になっているが、実際には事前に十分な準備を整えた松岡が鏡子夫人に取材(インタビュー)したものを、彼が夫人の口述という形式に書き直したものらしい。(本書には松岡が発言する場面は全く出てこない。だが、このあたりの事情については、松岡による巻末の 「編録者の言葉」 に詳しく書かれている。)

 この「漱石の思い出」は元より研究でもなければ評伝でもなく、またいうまでもなく正確な伝記でもありません。要するに未亡人の「思い出」であり、また一部分は「見聞録」にすぎないのでありまして、主として家庭における先生の生活記録であるのですが、ここには幾多の作物を裏附けるべき根本資料があり、作者その人を知るべき研究資料があって、夫人の目に映じた人間漱石の姿が、やさしい真実の魅力のうちに、生々と物語られ伝えられているのであります。


 松岡譲 「編録者の言葉」

 本書は文庫本で400ページ以上の分量があり、相当読み応えのある書物である。だが、ユーモアあふれる夫人の語り(東京人の話し言葉だ)はよどみなく文章化され、きわめて読みやすく面白い作品になっている。
 鏡子夫人自身が登場人物として描かれている 『吾輩は猫である』 を除くと、漱石の作品について批評する部分が全くない、ということも本書の特徴である。立場上書けなかった部分もあるのかもしれないが、漱石の小説を読んでいない読者にとっても理解しやすい本だと思う。


漱石の思い出 (文春文庫)

漱石の思い出 (文春文庫)