堀辰雄 『風立ちぬ』

……そのうち彼女が急に顔を上げて、私をじっと見つめたかと思うと、それを再び伏せながら、いくらか上ずったような中音で言った。「私、なんだか急に生きたくなったのね……」
 それから彼女は聞えるか聞えないか位の小声で言い足した。「あなたのお蔭で……」


 堀辰雄風立ちぬ』 春

 『風立ちぬ』 は昭和11〜13年に発表された中編小説。
 《私》 の婚約者である節子は肺結核を患っている。当時、死の病であった彼女の結核が悪化したため、富士見高原の療養所へ入院した節子に付添って、《私》 はそこで数ヶ月を過ごす。
 療養所での二人のロマンス、やがて訪れる節子の死、悲しい別れ――という話だとばかり思っていたら、途中から全く違った方向へ進んでしまったので驚いた。
 小説の真ん中あたりで 《私》 は 「仕事」= 執筆を始めるのだが、後半、「冬」 の章以降はその執筆内容、即ち彼の書いたノートになっている。ノートには各々日付が記されているため、日記のような形式なのだが、ほとんど 《私》 の自分語りに終始していて、そこに書かれている節子は 《私》 というフィルターを通して見た虚像なのである。
 「冬」 は、ベッドの縁に膝をついた 《私》 の髪を節子が撫でるエピソードで終わる。その次のページから始まる最終章 「死のかげの谷」 では、ノートの日付は一年後へ飛ぶ。節子はすでにこの世からいなくなっているのである。《私》 は一人で、雪に閉ざされた軽井沢を訪れる。クリスマスイブの夜、谷間を照らす山小屋の灯りのエピソードは、本作で最も美しい場面の一つだ。

 「なあんだ、あれほどたんとに見えていた光が、此処で見ると、たったこれっきりなのか」と私はなんだか気の抜けたように一人ごちながら、それでもまだぼんやりとその明りの影を見つめているうちに、ふとこんな考えが浮かんで来た。「――だが、この明りの影の工合なんか、まるでおれの人生にそっくりじゃあないか。おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっ許(ぱか)りだと思っているが、本当はこのおれの小屋の明りと同様に、おれの思っているよりかもっともっと沢山あるのだ。そうしてそいつたちがおれの意識なんぞ意識しないで、こうやって何気なくおれを生かして置いてくれているのかも知れないのだ……」


 堀辰雄風立ちぬ』 死のかげの谷

 途中から急に日記形式になっている点、節子の死そのものについて間接的にしか書かれていない点など、この小説の執筆当初の時点で作者がどこまで構想していたのかわからない。しかし、結果的には、作中のノートが視点の変化を生み、《私》 自身の精神的な成長を描くことによって、小説全体に奥行きを与え、二人の男女の生を描くことに成功しているのではないかと思う。
 富士見高原については、個人的にちょっとした思い出話があるのだが、それはまた別の機会に。


風立ちぬ (ぶんか社文庫)

風立ちぬ (ぶんか社文庫)