『濹東綺譚』 読了

 『濹東綺譚』 は昭和11年に脱稿し、翌年に発表された小説。主人公の作家 《わたくし》 こと大江匡が、隅田川の東側、玉ノ井という街の私娼窟へ通うという話である。

麻布から玉ノ井まで

 《わたくし》 が住んでいるのは 「麻布御箪笥町」 と書かれている。これは現在の首都高速谷町ジャンクション周辺にあたる場所である。当時の東京市街地図を見ると、麻布から玉ノ井までというのはほとんど東京の南西の端から北東の端まで移動するのに等しいのであって、近所のラディオの音がうるさいからちょっと散策に出た、というような代物ではないのだ。
 では、麻布から玉ノ井まで、《わたくし》 はどういう経路で通ったのか?
http://homepage1.nifty.com/chi-anzu/toden/toden_index.html
 麻布箪笥町停留場から市電に乗れば、新橋まで一本である。地下鉄(銀座線)は昭和9年に新橋まで開通していたのだから、新橋から地下鉄に乗って浅草(雷門)まで行くことが可能だ。ところが、《わたくし》 はなぜかこの経路を用いないのである。

 四、五日つづけて同じ道を往復すると、麻布からの遠道も初めに比べると、だんだん苦にならないようになる。京橋と雷門との乗替も、習慣になると意識よりも身体の方が先に動いてくれるので、さほど煩しいとも思わないようになる。


 永井荷風 『濹東綺譚』 五

 新橋からではなく、京橋から地下鉄に乗ったと書かれているのだ。(京橋で乗り換える記述はほかにもあるので、誤植や勘違いではあるまい。)麻布から京橋までの経路は書かれていないが、途中で市電を乗り換えたか、もしくは三宅坂あたりまで歩いて京橋行きの市電に乗ったか、いずれにせよ遠回りしていることになる。
 さらに、浅草から玉ノ井(現在の東武伊勢崎線東向島駅)まで行くのに、東武鉄道に乗らず、わざわざ人目を避けて、バスや円タクを使っている。これではどんなに早くても片道1時間、下手をすると1時間半以上かかってしまう。距離的な遠さという意味では、吉原も同じようなものだが、吉原だったら上野から市電一本で行ける。麻布から玉ノ井まで数ヶ月にわたって通うというのは、決して軽い気持ちでは出来ない行動なのである。

荷風先生は銀座が嫌いだった?

 《わたくし》 は、なぜ京橋から地下鉄に乗ったのか?
 考えられる理由はただ一つ、銀座を通りたくなかったからである。
 地下鉄銀座線の駅は、終点の浅草に向かって、新橋 - 銀座 - 京橋の順に並んでいる。地下鉄に乗ったまま通りすぎるだけなら何の問題もなさそうだが、《わたくし》 には銀座に関する忌わしい記憶があるのであった。

……十余年前銀座の表通に頻(しきり)にカフェーが出来はじめた頃、ここに酔(えい)を買った事から、新聞という新聞は挙(こぞ)ってわたくしを筆誅した。昭和四年の四月『文芸春秋』という雑誌は、世に「生存させて置いてはならない」人間としてわたくしを攻撃した。その文中には「処女誘拐」というが如き文字をも使用した所を見るとわたくしを陥れて犯法の罪人たらしめようとしたものかもしれない。


 永井荷風 『濹東綺譚』 五

 小説の後書きに相当する 「作後贅言」 は約30ページに及ぶ長文だが、その大半は銀座の悪口である。昭和の銀座の風俗を軽佻浮薄とみなし、酔っ払いと田舎者と売春婦の集まる場所だというような罵詈雑言を連ねていて、小説本編よりも面白いくらいの文章なのだが、とにかく銀座に対する嫌悪がすさまじいのだ。銀座を主要な舞台とした 『つゆのあとさき』 も、こういう観点から読み返してみると、別の面白さがあるかもしれない。
 さて、そのような銀座の対極として描かれるのが、玉ノ井である。

 一体この盛場では、組合の規則で女が窓に坐る午後四時から蓄音器やラディオを禁じ、また三味線も弾かせないという事で、雨のしとしと降る晩など、ふけるにつれて、ちょいとちょいとの声も途絶えがちになると、家の内外(うちそと)に群り鳴く蚊の声が耳立って、いかにも場末の裏町らしい侘しさが感じられて来る。それも昭和現代の陋巷(ろうこう)ではなくして、鶴屋南北狂言などから感じられる過去の世の裏淋しい情味である。
 いつも島田か丸髷にしか結っていないお雪の姿と、溝の汚さと、蚊の鳴声とはわたくしの感覚を著しく刺戟し、三、四十年むかしに消え去った過去の幻影を再現させてくれるのである。……


 永井荷風 『濹東綺譚』 六

 東武鉄道が開通したのが明治の終り頃。玉ノ井の街が栄えたのは大正年間のことらしい。*1 本作が執筆された昭和初期から考えれば、そんなに古い歴史のある土地ではないわけである。しかし、その玉ノ井に 「消え去った過去の幻影」 を感じさせる象徴として、ヒロインお雪は描かれているのである。


 当時、永井荷風麻布市兵衛町箪笥町の南側)に住んでいたらしい。僕の母の実家が近くにあったので、なんとなく昔の麻布界隈については懐かしさを感じるところがある。一方、向島のあたりは電車で通りすぎたことがあるばかりで、ほとんど知らない土地である。
 『つゆのあとさき』 も 『濹東綺譚』 も、東京の古い地名が頻出し、あまりにもローカルなため、分りにくい部分が多いのだが、地図を思い描きながら読むのも、面白いかもしれない。

*1:小池滋 『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか』 (新潮文庫) 参照。