迫撃砲

 1917年、アメリカ人の主人公 《ぼく》 ことフレドリック・ヘンリー中尉は、赤十字義勇兵としてイタリア軍に加わっていた*1。彼の任務は前線で負傷した兵士を搬送車両に乗せ、後方まで送り届けることである。作戦の場所はオーストリア国境付近の山岳地帯。夜になり、戦闘が始まったが、ヘンリーは部下のイタリア兵たちと塹壕の中でマカロニとチーズを食べ、ワインを飲んでいた。その時、至近距離で砲弾が炸裂する。

……ぼくは身を起こそうとした。すると頭の中で、人形の目からぶら下がった錘(おもり)のように何かが動き、眼球の裏をガツンと叩いた。両脚がぬんめりと生温かく感じられ、靴の中もぬんめりと生温かかった。やられたんだと気づいて体を前に倒し、一方の膝にさわってみた。膝頭がなかった。ぼくの手はずぶりと中にもぐり、膝頭は脛(すね)のほうにずり下がっていた。手をシャツでぬぐっていると、またしても照明弾がゆっくりと降下してきた。その明かりで脚を見たとき、突然、恐怖に襲われた。ああ、神さま、とぼくは口に出して言った、どうかここからつれだしてください。だが、ここにはまだ部下が三人残っている。運転兵は四人いたのだ。パッシーニは死んだ。残るは三人。そのとき、だれかがぼくの腋の下を抱えあげ、別のだれかがぼくの両脚をもちあげた。


 ヘミングウェイ武器よさらば』 第一部 第九章(高見浩訳・新潮文庫

 戦闘が始まると、あっという間にやられてしまう。最初のクライマックスである。闇夜の出来事を一人称視点で描いているため、全体像がわからないのだが、気がつくとすぐ隣りにいた部下は死んでおり、自分の両脚はめちゃめちゃになっている。引用部分の後半、「ああ、神さま」 から 「両脚をもちあげた。」 までわずか数行は、短い六つのセンテンスで書かれている(原文のテキストファイルを読んでみたが、やはり六つだった。)テンポの速い、畳みかけるような文体だ。
 戦闘シーンが始まるのは第九章。ここから俄然面白くなってくる。これから新潮文庫を読むひとは、退屈な最初のほうを飛ばして78ページから読むといい。(最後まで読んで面白かったら、最初のほうを後から読むというのでも構わないと思う。)
 それにしても、イタリア兵は旨そうなものを食べている。量は十分とはいえないかもしれないが、酒もたばこも支給されている。ジョージ・オーウェルの 『カタロニア讃歌』 では、たばこを切らしてイライラする描写が何度も出てくるのだが、きわめて対照的だと思う。
 このあと、ヘンリー君はミラノの病院に入院するのだが、そこでも病室で酒を飲み、たばこを吸い、美人の看護婦とヤリまくるのである。

*1:アメリカ合衆国オーストリアに宣戦布告したのは1917年12月。本記事で取り上げるエピソードはそれより前の話である