三吉夫婦の子育て

 三吉夫婦に長女お房が生まれた。その翌年のことである。

……次第に発育して行くお房は、離れがたいほどの愛らしい者と成ると同時に、すこしも母親を休息させなかった。子供を育てるということは、お雪に取って、めずらしい最初の経験である。しかし、泣きたい程の骨折ででもある。そればかりではない、気の荒い山家育ちの下婢(おんな)*1を相手にして、こうして不自由な田舎に暮すことは、どうかすると彼女の生活を単調なものにして見せた。
「ああああ――毎日々々、同じことをして――」
 こうお雪は嘆いて、力なさそうに溜息を泄(もら)した。暫時(しばらく)、彼女は畳の上に俯臥(うつぶし)に成っていた。復たお房は泣出した。
「それ、うまうま」
 と子供に乳房を咬(くわ)えさせたが、乳は最早出なかった。お房は怒って、容易に泣止まなかった。


 島崎藤村 『家 (上巻)』 七

 こういうのを育児ノイローゼというのだろう。しかも、お雪は下の子がおなかに出来ているらしいのである。
 一方、三吉は時折子守りを手伝っているようだが、彼自身末っ子のためそういった経験がなく、どうにも手つきがあやしい様子。仕事のほうは昼間は学校教師、夜は家で原稿書きをしている。しかし、子供が泣くたびにイライラするばかりで、ちっとも書き物がはかどらない。

「オイ、子供が酷く泣いてるぜ。そうして休んでいるなら、見ておやりよ」
「私だって疲れてるじゃ有りませんか――ああ、復た今夜も終宵(よっぴて)泣かれるのかなあ。さあ、お黙りお黙り――母さんはもう知らないよ、そんなに泣くなら――」
 こんな風に、夫婦の心が子供の泣声に奪われることは、毎晩のようであった。母の乳が止ってから、お房の激し易(やす)く、泣き易く成ったことは、一通りでない。それに、歯の生え初めた頃で、お房はよく母の乳房を噛んだ。「あいた――あいた――いた――いた――ち、ち、ちッ――何だってこの児はそんなに乳を噛むんだねえ――馬鹿、痛いじゃないか」と言って、母がお房の鼻を摘(つま)むと、子供は断(ちぎ)れるような声を出して泣いた。

 子育てを経験した読者なら、誰もが共感する場面ではないだろうか。
 三吉は木曾の生まれだが東京育ち。お雪は北海道出身で、東京の女学校を出たお嬢様である。書生や女中が住み込むこともあるが、全員10〜20代の若者ばかりで、年寄りがいない。今でいう典型的な核家族なのだ。近所づきあいはそれなりにあるようだけれども、周囲の農村社会に溶け込むには程遠く、都会育ちの彼らは所詮よそ者である。小諸の地に友人が訪ねてくるのも、ごくたまにしかない。(しかも、友人が来訪すると必ず揉め事が起こる。)
 しかし、彼らの上に本当の悲劇が訪れるのは、まだ先のことである。

*1:引用者注……住込みの女中。上巻 六に「家には十五ばかりに成る百姓の娘も雇入れてあった。」と書かれている。