捨吉の恋

 捨吉は女学校の英語教師になる。そこで、彼と同い年の勝子という教え子に惚れてしまう。勝子はそんなに成績が良いほうではなく、どちらかといえば目立たない少女だった。捨吉は彼女に対して思いを告げることもないのだが、その目つきや態度から、同級の他の生徒にはとっくにばれていて、そのことを同性の友人から教えられる。

 眠りがたい夜が続いた。どうかすると二晩も三晩も全く眠らなかった。例の小座敷に置いた机の上には、生徒から預った作文が載せてあった。その中には最近に勝子が書いた文章も入っていた。読んで見ると面白くもおかしくもない文章が何事(なんに)も知らない鳩のような胸から唯やすらかに流れて来ている。捨吉はその作文が真赤になるほど朱で直して見て、独りで黙っている心を耐(こら)えた。


 島崎藤村 『桜の実の熟する時』 十一

 捨吉は教え子への片思いの恋に悩んだ挙句、職を捨て、信仰を捨て、少数の友人以外誰にも行く先を告げずに旅に出る――というのが、この小説の結末である。残り40ページを切ったあたりで初めて登場したヒロインに惚れてのぼせて家出して終わり、というのは、いくらなんでもあんまりだが、この結末はそのまま 『春』 へとつながっているわけで、ちゃんと辻褄があっている。(というより、その辻褄のために書かれた小説のようにも思える。)
 『春』 は放浪中の捨吉が友人たちの元へ帰ってくる場面から始まるので、さらにわけのわからない小説(もちろん他に面白い部分は多いのだけど)であった。どういうきっかけで勝子を好きになったのか、なぜ旅に出たのか、説明不足だったのである。そのあたりを 『桜の実の熟する時』 では十分描いている。逆に 『桜の実の熟する時』 ではほとんど描かれない勝子の性格が、『春』 のほうにしっかり書かれていて、これも面白く読める。
 『春』 の勝子は俥に乗って捨吉の元へ押しかけて、彼の真意を質し、いつの間にか他の男と結婚して北海道へ渡り、かの地で病死する。悲しむひまもないような、あっという間の出来事であり、捨吉には手も足も出ない。
 家族のしがらみを離れてあてのない旅に出たり、一人都会へ出て自由を謳歌したり、というのは末っ子の発想である。発想も行動も自由だが、親兄弟のしがらみが迫ってくると荒れる、というのも末っ子に共通するかもしれない。藤村、漱石、太宰などはいずれも末っ子である。芥川や谷崎は長男だから、こういう発想には至らない気がする。「末っ子文学」 について研究してみたら面白そうだと思うのだが、いかがであろうか。

追記

 太宰治は11人兄弟の10番目である。だが、彼の性格(特に小説上の)はまぎれもなく 「末っ子」 であろう。