『パンドラの匣』を読む前に

 新潮文庫の黒い背表紙の太宰治は、今年出た 『地図』 を入れて18冊出ているらしい。
 さっき我が家の本棚を数えたら11冊並んでいた。18冊なんてすぐに読み終わりそうなものだが、なかなか進まないのである。なぜなら、読み終わった本を読み返すからだ。特に、『走れメロス』、『津軽』、『晩年』 あたりは何度でも読む。『津軽』 は旅行などに持ち歩いてすでにぼろぼろだし、『晩年』 に至ってはとうとう旧仮名遣ひの単行本を買ってしまったくらいである。尤も、最初から最後まで読みとおすことは決して多くはない。適当にぱらぱら捲って眺めるのが大半である。適当なページを開いてみてもそれなりに面白いことが書いてあるのが太宰の美点なのだ、などと書けば聞こえは良いが、ようするに同じところをぐるぐる廻っているようなものである。
 『パンドラの匣』 は12冊目の太宰である。
 太宰の本はどれも面白いに決まっている。最初から面白いと決まっている物を読んで、面白いと感ずるのは優勝の決まった後の消化試合と一般である。そういう読み方をしていては、それ以上面白くはならないだろう。何かもっと別な読み方はないものだろうか。
 世の中には、若い頃に太宰に熱中し、ある年齢を超えると急に醒めてしまう人が多いようだ。有名な作家にもそういうことを言う人がいるので、その傾向は確かにあるのだろう。他方、僕はそれほど熱中した経験がなく、その分、長続きしているといえなくもない。
 楽しみは長くとっておきたい、と思うのである。