長と猛獣映画

 ある日、《私》 は 《船宿「千本」の長》 という少年を伴れて、浅草へ映画を見に行く。「アメリカだかイギリスだかの夫婦の探検家が、アフリカの奥地で猛獣狩りをする」 という映画である。

 この小学三年生の、こまっちゃくれの長は、映画が始まると同時に120%まで昂奮してしまった。彼はシートから身を乗り出し、両手を拳にして、頭を押え、口を押え、膝を叩き、また胸へぎゅっと押しつけたりした。小さな顔は赤くなって、眼は殆んど殺気を帯び、呼吸はときに深く、また喘ぐように激しく、もっともエキサイトすると拳を口に当てて息を止めた。
 あらゆる画面で、彼は猛獣どもに呼びかけ、探検家夫妻に注意を与えた。
「ライオンだライオンだ」と長は喚く、「見せえま、先生、生きてるライオンだぞ」
 周囲の観客はびっくりして彼を見る。ライオンは仕掛けた罠檻のほうへ歩いてゆく。
「やい危ねえぞ」と長はライオンに呼びかける、「そっちいくと捉まっちまうぞ、いっちゃだめだ、ええ、だめだってえにな、捉まっちまうったらな、ええライオンのばかやつら、こっち来いってば」


 山本周五郎青べか物語』 長と猛獣映画

 興奮度120%、などというと今でこそ月並みな表現だが、ここでは妙に新鮮に感じる。
 しかし、映画を見に行ってこんなにも興奮するというのは、想像するだけで楽しくなってしまう。こういう友人と一緒にジャングルクルーズに乗ったら、さぞ楽しめることだろう。
 少年が育った浦粕=浦安の町にディズニーランドが建ったのは、それから半世紀以上も後のことである。