第5講 夏目漱石『三四郎』(1)

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講義ノート

 講義の最中にとったノートをほぼそのまま写したものなので、文責はすべて kanimaster にあります。

  • 漱石はなぜそんなに有名なのか
    • 明治40年頃、自然主義文学の隆盛。
    • 大正5年(1916)年、満49歳で没。
    • 38歳のとき作家活動を開始した。作品数は少ない。
    • 岩波書店は、最初に 『こころ』 を出した。その後、『漱石全集』 を出版。岩波が左翼出版社になったのは戦後。
    • 漱石の小説には 《性》 が出てこない。田山花袋永井荷風等とは対照的。
    • 中流の一般市民が安心して読める。
    • 毀誉褒貶が激しい。軽文学といわれた。
    • 『道草』 は私小説だが、漱石私小説を書くわけがないと言われた。
  • 漱石の弟子
  • 晩年の弟子
  • 漱石の子供
    • 夏目純一(長男)……バイオリニスト。父の遺産で生涯遊び暮らした。印税で駄目になった。その長男が夏目房之介
    • 夏目伸六(二男)
    • 著作権保護期間を死後70年に延ばす運動があるが、子供がいる人は延ばしたがるものである。
  • 漱石神経症
    • 『行人』 に書かれている 《いてもたってもいられない状態》 を読んで、夏目房之介は 「やはり自分の祖父だ」 と述べたが、あれは神経症特有の症状である。
  • 作家の子供について
  • 最近(戦後)の漱石ブームは江藤淳が作った
    • 昭和30年代、江藤淳は、23歳で 『夏目漱石』 を著した。
    • 荒正人(あら まさひと)
    • 柄谷行人(からたに こうじん)
    • 《もたせる》 人がいた。
    • 小森陽一 『「こころ」を生成する「心臓(ハート)」』(1985年)
    • 米田利昭 『わたしの漱石
  • 『こころ』の問題点
    • K は寺の息子だが、勘当されて金がない。一方、《先生》 は金持ちであり、最初から対等ではない。
    • 「フェアプレイは早すぎる」(魯迅)……水に落ちた犬を叩け。敵に温情をかけない考え方。
    • 《奥さん》 は軍人の未亡人。《先生》 が婿入りしていないのはおかしい。
    • K は失恋自殺なのに、そのことに気付いていない。
    • 《先生》 の遺書は量が多すぎる。封筒に入らない。
    • 《先生》 夫婦はセックスレスだったのではないか。
    • 漱石の 「女」 の書き方は変。『こころ』 の 《奥さん》 も、『三四郎』 の美禰子も、自分(男)に気があるのではないかと思わせるような言動が多い。
    • 漱石は恋愛経験が少ないのではないか。
    • 大塚楠緒子(おおつか くすおこ)……漱石は「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」という句を詠んだ。
  • 恋愛・女性関係の多い作家
    • 黒岩涙香(くろいわ るいこう) 『蓄妾(ちくしょう)の実例』……妾・愛人関係を暴露した本。
    • 森鷗外……2回結婚した。その間に愛人もいた。
    • 北村透谷
    • 島崎藤村……教え子との恋愛。2回結婚。姪との関係。
    • 谷崎潤一郎……3回結婚。その他。
    • 丸谷才一
  • 漱石は妻以外の女を知らなかったのではないか。
  • 『こころ』 の冒頭に、「余所/\しい頭文字などはとても使う気にならない。」と書いているのに、あとで K が登場するが、あれは漱石が忘れていただけだろう。
  • テクスト論(小森)……テクストに書いてあることに間違いはない、テクスト以外のものを持ち込むべきではない、という考え方。
    • ⇔考古学派(藤井淑禎(ふじい ひでただ))……当時の読者にどう読まれたか、という考え方。
    • 石原千秋 「漱石研究」(小森と共編)
  • 三四郎』について
    • 三四郎の出身地は福岡県。小説に住所が書いてある。三四郎駅(東犀川三四郎駅)という駅ができた。
    • 小説の地位は低かった。
    • 漱石の赴任地は、松山→熊本→英国留学→東大講師
    • 当時、東大には日本人教授がいなかった。漱石がそのまま講師を続けたとしても、教授になることが出来たか不明。
    • 東大講師を務めるほどの人物が小説を書く、というのは前代未聞のことだった。

次回

  • 美禰子は三四郎を好きだったのか?
  • 三四郎』 は何年の話か?
  • 登場人物について