和助誕生

 明治維新。三百年続いた本陣・問屋・庄屋制度も廃止され、青山半蔵は馬篭の戸長となった。以下は明治6年春の出来事である。

 その年から新たに祝日と定められた四月三日は、木曾路で初めて迎える神武天皇祭である。(中略)
 半蔵の妻お民も、今は庄屋の家内でなくて、学事掛(がくじがか)りを兼ねた戸長の家内であるが、その祝日の休業を機会に、兄寿平次の家族を訪ねようとして馬籠の家を出た。もっとも、この訪問は彼女一人でもない。彼女と半蔵との間には前年の二月に四男の和助(わすけ)が生まれて、その幼いものと下女のお徳とを連れていた。馬籠から奥筋へと続く木曾街道はお民らの目にある。ところどころの垣根には梅も咲く。彼女らは行く先に日の丸の旗の出ている祝日らしい山家のさまをながめながめ、女の足で二里ばかりの道を歩いて、午後に妻籠の生家(さと)に着いた。


 島崎藤村 『夜明け前 第二部』 第七章 一

 明治5年に生まれた半蔵とお民の四男、和助は、藤村自身がモデルである。
 お民は、長女お粂の縁談の相談のため、和助を連れて生家の妻籠を訪れる。しかし、何やらお粂の様子がおかしい。半蔵の言動も尋常でないことが、お民の口を通じて語られている。
 なんとも続きが気になるところで、第二部(上)は終わる。