村上春樹と山羊の上の歯

 ヤギには上の歯(正確には上顎門歯)がないらしい。

ジブリは山羊に愛がない。 - Something Orange

 上の記事を読んで、村上春樹アフターダーク』 を思い出したので、僕も重箱の隅をつついてみることにする。

 男は『ファイブスポット・アフターダーク』の最初の八小節をハミングする。
「知ってるよ、それ」とマリは言う。
 彼はわけがわからないという顔をする。「知ってる?」
 マリはその続きの八小節をハミングする。
「どうして知ってるの?」と彼は言う。
「知ってちゃいけない?」

 村上春樹 『アフターダーク

 ジャズの話ばっかりして申し訳ないんですけど、あんっっっだけ! 音楽とかに愛があるのに、続きの八小節をハミングしたりするわけです。12小節のブルース曲なのに。

 トロンボーン奏者カーティス・フラーのアルバム 『ブルースエット』 に収録されている "Five Spot After Dark" は、12小節のブルース曲だから、「続きの八小節」 は存在しない。ある楽曲の長さが何小節あるかなんてどうでもいいじゃないかと思われる方も多いかもしれないし、僕もどうでもいいことだと思う。ただし、音楽を聴いているだけであれば。
 しかし、ジャズを演奏する人間はそういうわけにいかない。ミュージシャンは常にコード進行や小節数やカウントを意識しながら演奏する。いや、正確には 「意識しながら」 ではなく、無意識のうちに身体が反応するように音を出す。(よくわからないかもしれないが、ジャズとはそういう音楽なのだ、と思ってほしい。)たまにセロニアス・モンクみたいに出だしを間違えるひともいるが、彼は絶対に間違えないタイプのミュージシャンとばかり共演している。
  とにかく、登場人物の男・高橋はトロンボーン吹きであり、間違えるはずのない箇所なのである。小説の進行上でいうと、冒頭近くのさりげない会話シーンだが、『アフターダーク』 という題名に直結する含意をもった重要な場面である。上の引用箇所の直前で、高橋はこの曲、このレコードについて、延々と講釈をたれている。しがたって、「フィクションだから現実とは異なる」 という解釈はあり得ない。どうして、ここでこういうズッコケるような間違いが書かれてしまったのかわからないが、致命的なミスであることは間違いない。
 そんなわけで、僕はがっかりしてしまい、小説全体の印象がきわめて薄いものとなってしまったわけだが、もちろん僕のそんな感想自体、ほかの人にとっては、それこそどうでもいいことである。

 ある分野に非常にくわしいマニアの作品批評が必ずしもあてにならないのは、ここに理由がある。自分が「愛」があるポイントのミスを針小棒大に取り上げてしまったりする。マニアであるからこそ、そうなってしまうわけです。

 ジブリは山羊に愛がない。 - Something Orange

 作者の些細なミスをあげつらい針小棒大に取り上げるのは、悪いくせみたいなものである。しかし、村上春樹にかぎって、ジャズへの 「愛」 がないとは思わないが、ときどき 「この人、本当にこのレコードを聴いたことあるんだろうか?」 と思わせるような描写を目にして、驚くことがある。(すぐに思い浮かぶのは、エッセイ 『ポートレイト・イン・ジャズ』 の中の "5 by Monk by 5" のくだりだ。あれはたぶん他のアルバムと勘違いしていると思う。) 文章を書く前に、もう一度レコードを聴いていれば、こんな風にならなかったろうに、と思うのである。
 こういう感想を書いてしまうのはまったく悪癖にすぎないのだけれど、こんな風にツッコミを入れながら読むのも文学の楽しみ方の一つではないだろうか。それこそ、あてにならない感想にすぎないのだけれど。

アフターダーク (講談社文庫)

アフターダーク (講談社文庫)

ブルースエット

ブルースエット