田中優子 『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』

 樋口一葉たけくらべ』 は、信如が水仙の作り花を美登利の家の 「格子戸の外よりさし入れ」、黙って立ち去るところで終わる。信如十五歳、美登利十四歳のことである。

 私は『たけくらべ』の最後に残るこの水仙は、一葉が観じたその「何か」ではなかったかと思う。(中略)それに気づくには、長い時間を要するのがふつうであろう。一葉は二十一歳で、それを知った。五十二歳の今の私には、一葉の書いたことがわかる。一葉の見ているものが見える。しかし二十一歳の私には、とうていわからなかった。

 樋口一葉「いやだ!」と云ふ』

 田中の抱いた感慨は、僕の感じたのと同様である。『たけくらべ』は少年少女の登場する小説だが、子供向けに書かれてはいない。二十四歳で夭折した一葉の倍以上生きた今読んで初めて理解できる(あるいはわかったような気になれる)作品なのだ。

 本書は一葉の作品から、『たけくらべ』、『にごりえ』、『わかれ道』、『大つごもり』、『十三夜』 を取り上げ、江戸・明治の文化とのかかわりを中心に論じたものである。特に、『たけくらべ』 に書かれる吉原の高級遊女と 『にごりえ』 の銘酒屋の下級娼婦の違いなど、歴史的文化的な背景を知らなければ理解しにくい部分について詳しく述べられていて、作品理解の助けになる。

 ところで、『大つごもり』 について書かれた章では、井原西鶴の 『西鶴諸国はなし』 の中の 「大晦日はあわぬ算用」 と比較した上で、共通点と相違点が細かく指摘されているのが面白い。
 本書では触れられていないが、「大晦日はあわぬ算用」 は太宰治の 『新釈諸国噺』 の第1話 「貧の意地」 の元ネタ (というかほとんどそのままらしいのだが) である。もちろん、一葉と太宰ではかなり解釈が異なっている。粋な結末、という点は両者とも共通するが、これは西鶴を元とするものなのだろう。

 こういう本を読み、いくつかの文学作品の点と線が結びついていくと、なんだかぞくぞくしてくる。これもまた小説を読む楽しみなのである。

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

お伽草紙 (新潮文庫)

お伽草紙 (新潮文庫)