村上春樹 『ノルウェイの森』

 本棚から 『ノルウェイの森』 を取り出してみたら、こんなカバーだった。現在書店に並んでいる赤と緑のカラフルなもの(最初に出た単行本は赤と緑だった)と違い、ごくシンプルなものだ。活字も小さく、1冊あたり260ページ程度のものである。
 奥付を見ると、1994年と印刷されている。15年も前じゃないか。

 ページをめくると、1987年の 《僕》 が西ドイツで飛行機に乗っていて、1969年のことを思い出そうとしていた。
 そして、読んでいるほうの僕は、40年前の世界へと入っていく。

 15年経つと世の中いろいろ変わるものである。世の中だけでなく、僕自身も大きく変わったのだ。当時幼かった僕の息子は 《僕》 と同い年になり、僕は 《レイコさん》 の年齢をはるかに超えてしまった。
 小説には、その時代にしか通じない価値観や考え方と、時代を超えて読者に訴えかけるものとがあると思う。それにしても、1980年代に書かれた小説って、どうしてこんなに現代との違いを強く感じてしまうのだろう。(本作に描かれている世界のほとんどは1960年代を舞台にしているが、60年代に書かれた小説だったら、こういう感じ方はしないはずだ。)この「違い」は、主に人間関係=コミュニケーションのありかた、人間同士の距離のとりかたに表れているのではないだろうか。前の夜にセックスをした相手が突然失踪してしまい何ヶ月も連絡がないままだったり、その後再会して元通りになったりするというシチュエーションは、21世紀の世界ではちょっと考えにくい。もちろん、現代には携帯電話やメールといった通信手段が普及しているからでもあろうが、ある日突然誰かと連絡が取れなくなるというのは、偶発的な事故は別としても、現在だったら拒絶あるいは無視といった何らかの意図をもった行為として理解されるべきものだからである。

 ところで、久しぶりに本棚から取り出したこの本を読んでいて、おかしなことに気づいた。ページの何か所かに妙なクセがついているのである。なんと表現したら良いのだろう。本を開いて伏せて置き、軽く押しつけたような感じの折り癖がついていたのだ。僕はそういう本の読み方はしないし、たまに取扱いを失敗することはあっても、この本に関してはそのような記憶はない。つまり、僕以外の誰かがこの本を読んだということになるが、犯人はわかっている。息子だ。


ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)