『林真理子の文章読本』

※本記事は、2005年12月に書いたものを加筆しました。


 『林真理子文章読本』 という、短いけれども、非常に面白い作品(本文わずか38ページ)を読んだので、紹介してみたい。

文章読本とは何か

 「文章読本」という題名を冠した本は、昔から多くの作家によって書かれている。
 有名処は以下のとおり。(カッコ内は、発表年。)

 谷崎潤一郎 『文章讀本』 (1934年)
 川端康成 『新文章読本』 (1950年)
 三島由紀夫文章読本』 (1959年)
 丸谷才一文章読本』 (1977年)
 井上ひさし 『自家製 文章読本』 (1984年)

 ほかにも、まだあるかもしれない。また、異なった題名で、同様の主題を扱った書籍を挙げれば、キリがない。しかし、「文章読本」 という題名を持つ本のみに共通する点がいくつか見られ、まるで文学の世界に 「文章読本」 という一つのジャンルが形成されているかのように見受けられる。それらの共通点を挙げてみよう。

  • 「良い文章とは何か」 という明確な主題を持った随筆・評論であること。
  • いわゆる評論家が書いたものではなく、小説をはじめとする創作の分野で成功を収めた大作家による著作であること。
  • 最初に著した谷崎を除けば、ほぼ全てが、賞賛も批判も含め、先達の書いた 「文章読本」 への言及を行っていること。
  • 文章読本」 を著した本人の、「文章を書くこと」 についての考え方、姿勢、取り組み方などが書かれているため、読者にとって、作家とその作品を知るための手掛かりとなるものであること。(逆に、他の作品を読んでいないと、さっぱりわからないほど、難解なものも多い。)
  • 「文章術」 といった技術論的なことが書かれているにもかかわらず、いわゆるハウツー本とは一線を画していること。(これらの書物を読んだとしても、文章が上達するわけではない。)

林真理子文章読本』 について

 『林真理子文章読本』 は、当初、雑誌 『婦人公論』 2003年4月7日号の別冊付録として発表された。現在、本作は、『林真理子の名作読本』 (文春文庫・2005年10月刊)に収録されている。

林真理子の名作読本 (文春文庫)

林真理子の名作読本 (文春文庫)

 文庫版 『林真理子の名作読本』 は、二つの章から構成され、本書の大半を占める一章が 「林真理子の名作読本」、二章が 「林真理子文章読本」 となっている。ちなみに、一章のほうは、古今の名作文学についての書評集になっていて、二章とは内容的に直接の繋がりはない。

林真理子文章読本』 の特徴

 本作は、きわめて短い作品であるにも関わらず、「文章読本」 の共通点として先に述べた事柄をほぼ網羅している。しかも、著者の他のエッセイ同様、非常に読みやすく書かれている。
 また、谷崎・三島といった古典を引用する一方、村上龍よしもとばなな宮部みゆきといった現代の作家や作品に言及している点、現代的な 「文章読本」 になっている。
 さらに、本作の特徴は、新聞・雑誌などの投稿欄、即ち、素人の書いた文章を槍玉に上げ、悪い文章のお手本として酷評している点である。
 プライドが異様に高く、高飛車な態度で歯に衣着せぬ物言いは、著者のエッセイの特徴だと思うのだが、そういった処にカチンとくる読者も多いかもしれない。しかし、雑誌等への投稿を行っている方や、ブログ等で自分の文章を公表している方にとって、いろんな意味で、ためになることが書かれていると思う。もっとも、酷評されている素人の投稿の例(全て架空のものだが)を読んで、手放しで 「そのとおり!」 などと叫んでいる場合ではないのだ。この記事を読んでいるあなたも、そして僕も、批評の対象とされているからである。

 現代は、物事の移り変わりが恐ろしく速い時代である。
 本作は、わずか2年前に発表されたものだが、すでに古いと感じさせる部分もある。それは、この2年の間に、ブログが流行・普及し、自分の文章を発表する人間が、爆発的に増えたことに因るものである。
 本作は、女性雑誌の付録という形で発表されたためか、あるいは雑誌の読者の年齢層を考慮したためなのか、インターネットに関する言及が皆無である。ウェブ上に文章を発表する“素人”が、爆発的に増加しつつある現在だったら、もう少し違った物の見方があるのではないか。そういった点について、林真理子氏だったら、あるいは、他の作家諸氏だったら、どう考えるのか、興味の尽きないところだと思う。