大江健三郎 『性的人間』

 東北の寒村にある別荘へ向けて、1台のジャガーが疾走する。車の中には、映画の撮影機材が積み込まれ、7人の若者たちが乗り込んでいる。彼らの中の一人、十八歳のジャズ・シンガーの娘が裸になり、他の者に向かってこんな話をする。

「わたしが政治家のパーティに仕事に行ったときのことなのよ。わたしと一緒の控え室に化粧もしていない十六歳の子が、ピンポンの球と青いビニールの衣裳を膝において坐っていたのね。そこでわたしたちは友達になったわけよ。仕事の順番がきてもその子はお化粧しなかったのよ。裸になるだけ。そして青いビニールの寝袋みたいな服に頭からはいこんで、わたしに背中の下半分だけについているジッパーをあげさせたわ。その青い服は、蛙の衣裳なのよ、体じゅうすっぽりくるんで、股だけ魚の口みたいな穴がひらいているのよ。政治家たちは、女の子の性器をした青い蛙を見るわけ、しかもピンポンの球を体にいれていて、それが踊りにあわせてブル、ブル、蛙みたいに鳴くわけよ!」

 中編小説 『性的人間』 (1963年発表)の冒頭場面である。大江健三郎の初期の小説には、このような具体的なイメージに満ちた奔放なアイデアが、あちこちにあふれている。しかし、主人公の青年 J は、娘の言葉を理詰めで封じ、彼女は泣きだしてしまう。(フェチ好きな読者のために書いておくと、この素敵なカエル娘のエピソードはこれっきりで、このあとは出てこない。どなたか続きを書いていただけぬものか。)次から次へとアイデアが湧き出るのは良いのだが、どうにも収拾がつかなくなっているような感じがする。
 中短編集 『性的人間』 収録の表題作の前半は、映画を撮影しながら乱交パーティをする話。後半は電車の中で知り合った3人の男性が 《痴漢クラブ》 を結成する話である。登場人物の一部は共通しているが、ストーリーにつながりはなく、わけがわからない。(でも、面白い。)

 『セヴンティーン』 (1961年発表)は、三島由紀夫を思わせる自意識過剰な少年が、右翼にかぶれていく話。少年の一人称で書かれているが、右翼かぶれの若者を痛烈に批判しているところが面白い。もっとも、少年にとっての 《右》 とは、あくまでも心理的な 《鎧》 と形式上の 《制服》 に過ぎず、保守思想そのものへの批判にはなっていない。続編の 『政治少年死す』 は単行本化されなかったようだけれど、タイトルだけで結末が見えてしまうので、あまり読みたいと思わない。

 『共同生活』 (1959年発表)は、一人暮らしの青年の部屋に四匹の 《猿ども》 が出現し、無言で彼の生活を見つめる、という話。(もちろん、主人公の妄想である。)
 実に不気味な小説であり、村上春樹の短編 『品川猿』 より、ずっと良い。スピード感のある文体が特徴的な 『セヴンティーン』 をロックンロールに例えるならば、こちらはプログレ、初期のピンク・フロイドを想起させる雰囲気を持っている。

 三作に共通するのは、具体的・視覚的なイメージを伴ったアイデアである。大江の小説はその後抽象的なキーワードが多くなり、次第に難解になって行くので、初期の作品のほうが読んでいて楽しめると思う。

性的人間 (新潮文庫)

性的人間 (新潮文庫)