『たったひとつの冴えたやりかた』

たったひとつの冴えたやりかた 改訳版

たったひとつの冴えたやりかた 改訳版

 コーティー・キャスは一人ぼっちだった。
 彼女は宇宙船マニアであり、16歳の誕生日プレゼントに買ってもらった小型スペース・クーペを改造し、黙々と恒星間航路のプログラミングを行って、一人広大な宇宙へと出発する。おしゃべりするクラスメイトや、いじめっ子の男子や、一緒にゲームをする弟や、そういった仲間はここには登場しないのだ。
 友人とバスケやキャッチボールをしたりせず、一人で本を読んだり、パソコンに向かっていろいろやっている読者――そう、僕も、この記事を読んでいるあなたもだ――は、彼女のそんなプロフィールを読んだだけで、ハートを鷲づかみにされることだろう。
 しかし、ここで主人公にあまり共感してしまうと、あとでえらい目にあう。本作はそういう SF 小説である。

 コーティーは航行中に一人のエイリアンの友人と出会い、そこからストーリーは大きく方向を変えていく。

 レコーダーは、まだふたりの会話を記録しつづけている。しかし、もちろん、そこに彼女の感情は示されない。惜しいことに。
「記録のためにいっておきます」 とコーティーは報告するときの口調でいう。 「あたしは、あー、主観的な理由だけど、このエイリアンがあたしに対して誠実な友情をもっていると信じます。つまり、ただの方便じゃなくって、このあたしに対する友情。それはたいせつなことだと思います。あたしもシルに対しておんなじ気持ちです」


 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 『たったひとつの冴えたやりかた

 なんというか、ストレートすぎてちょっと恥ずかしくなるようなセリフだけれど、ラストまで読んでから、このセリフを思い出すと、たまらなく切ない気持になる。しかも、重要なのは、この“友情”のありかたが、SF でなければ描くことのできないものだということだ。

 本作の原題は "The Only Neat Thing To Do" である。(『たったひとつの冴えたやりかた』 という邦題は名訳だと思う。)
 本作で描かれる設定や描写のいくつかはすでに過去のものになっている。(テープに音声を記録するなんて!) neat という形容詞は、ウディ・アレンの映画のセリフでさかんに使われた記憶があるが、もはや死語である。それでも、“友情”は古くなったりしない、というのが本作を読んだ感想だ。
 傑作である。