夏目漱石 『虞美人草』

 『虞美人草』は、モーツァルトのオペラに似ている。
 主に六人の男女が登場し、派手な恋の物語を展開する様は、『フィガロの結婚』を思わせるし、作中のきっぱりとした善悪の区別、ヒロイン・藤尾と彼女の母親の存在は、『魔笛』のヒロイン・パミーナとその母・“夜の女王”に相似する。

 本作は明治40年に発表された、漱石にとって、職業作家としての初の小説である。
 「初の」というだけあって、前評判は高く、作者も力が入っている。いや、力みすぎているといったほうが良いだろう。
 文体は美文調で、平安朝風かと思えば漢詩シェークスピアの引用など、満艦飾が施されているが、その分、前半はテンポが遅く、なかなか話が先へ進まない。また、登場人物は紋切型で、悪役(藤尾とその母)は最初から悪役と定義づけられている。判りやすいといえば解りやすいのだが、これは近代小説というよりは、前述のオペラや歌舞伎などの古典芸能に近いものではないか。
 しかし、後半の展開は凄まじく、特に最後の50ページほどは怒涛の展開を見せる。(アマゾンのレビューに「まるでミュージカルを思わせるようなテンポの良さ」と書かれていたが、全くそのとおりだと思う。)このスピード感は、『坊っちゃん』を恋愛小説に仕立てたような、あるいはそれを凌ぐような勢いのものであり、漱石の作品中でも群を抜いている。

 さて、“夜の女王”に匹敵する「藤尾の母」だが、彼女は作中、「謎の女」と呼ばれている。ここでいう「謎」とは正体不明ということではなく、本音と建前の違いが著しいため、何を考えているのか傍目に分からないといった意味である。体裁を重んじるあまり、内心とかけ離れたことばかり口から出てしまう彼女の性格は、作中の道義によれば悪だが、考えてみれば、こういうタイプの人物は、後に谷崎潤一郎の小説に頻繁に登場するのであった。(『卍』、『蓼喰う虫』、『細雪』など。)財産目当てという動機も、当時の女性、特に未亡人の社会的地位を考えれば無理からぬところであろう。
 また、肝心のヒロイン・藤尾は「驕る女」と地の文で書かれ、作者から相当に嫌われているようだが、決してただの悪女ではなく、芸術を理解し、近代的な自我を持った一人の女性として、十分な魅力を持っている。
 藤尾は、他の全員が見守る中、意中の男性(小野)から他の女性(小夜子)と婚約したことを告げられ、さらに別の男性(宗近)からも見捨てられ、ショックのあまり死んでしまう。

 すべてが美くしい。美くしいもののなかに横(よこた)わる人の顔も美くしい。驕(おご)る眼は長(とこしな)えに閉じた。驕る眼を眠った藤尾の眉は、額は、黒髪は、天女のごとく美くしい。

 生前に散々作者に苛められた藤尾の、これが最期である。
 ヒロインの死によって、他の全ての者たちは和解し、ようやく安穏な日々を迎えようとするところで、本作は終わる。

 『虞美人草』より後、『三四郎』以降の長編小説では、このような明快な結末を持ったものはない。
本作は、漱石にとって初の新聞小説であったが、同時に初期の終わりとなった作品となったのではないかと思うのである。

虞美人草 (新潮文庫)

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